年功序列の「幻想」はそう簡単には壊れない

「長く勤めるほど、給料が上がり、

それをあてにして将来設計をする」

それはしばしば「幻想」と揶揄され、

「崩壊した(またはしつつある)」と言われている。

正直なところ、その幻想は簡単には

完全に失われることはない、と言うのが

個人的な考えだ。

ただ少なくとも、

その幻想は僕たちの懐は豊かにしてくれても

心までは豊かにはしてくれない。


年功序列が前提ならば、

給料の面で一番価値があるのは、

「長く所属すること」だ。

価値を出すでもなく、成績をあげるでもなく、

「長く所属すること」だ。

所属している間に、自分の大切にしている考えや、

大切なプライベートの事情の中に、

「所属」がそぐわないことがあるかもしれない。

ただ、そこで「所属」を優先して、

自分の大切にしているもの・考えを押し込めたなら、

それは、イチモツあっても

まさに「去勢」されることだと思うのだ。

「去勢」されてからというもの、

たとえ(経済的に)豊かな老後を過ごそうとも、

生きがいや居場所を探しに行かなければならないようでは、

心はもう死んだも同然だと思うのだ。

(ただ、幸か不幸か、今の状況を見るに、

60くらいででリタイア「させてもらえない」かもしれない)


社会的な課題は、

公的な教育の現場にあたる人々もまた、

年功序列から生まれてきた人たち、

年功序列の中で生きている人たちで、

生徒の親の「年功序列」的経済事情を前提にして、

教育が行われている、ということだ。

自分の事業でよっぽど儲かっていない限り、

年功序列」下にいなければ、

子どもに教育を受けさせることすら、難しい。

残念ながら「所属」の価値が、

子を産み、育てる能力と連動してしまう。

―その状況は、子を産み、育てることに限らず、

きっと変わらないと思う。

だから、僕たちは、

自分たちのやりたいようにやるために、

自分たちの頭で

オルタナティブ(代替案)を考えよう。

自分で考え、自分のために行い、

その結果を自分で受け、

心を豊かにしてくれる策は、

きっとそこにある。豊かな心は、多くを生む。