「ブカツはメンドウ」マインドのはなし

 

高校野球を見て「打った取られた」で

一喜一憂しているのは、 古びたスワローズの帽子をかぶっている オジイちゃんだけではない。

自称・野球愛好家のぼくもその一人だ。

先日もテレビ中継で試合を見て 思わず涙が出そうになった。

厳しい練習の背景とか、 個別の選手への(タレント的)愛着とか、 そういうのを想像しては、 勝手に感動している。

しかし、自分が高校時代のブカツはどうだったか?

ぼくはラグビー部で「センター」という 割と重要なポジションで、副キャプテンだったにも関わらず、

負ければ引退、という試合ですら

「ファーア、早く終わればいいのに」

と冷静でいたのだから、困ったものだ。

試合に敗れてからは、悔しさではない、 違う意味で涙が出そうになった。

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ブカツはふつう

「楽しいもの」「青春」

の象徴として語られる。

それが、いつしか

「めんどうなもの」「耐えるもの」

へと変わっていくのはなんだか寂しい。

それに関連して 『そろそろ、部活のこれからを考えませんか』 (➡︎岩手県立図書館で借りられます) という本に非常に興味深い記述があった。

(以下、その部分の要約)

「したい気持ち」➡︎「できない現状」➡︎「できる状態」

この流れの中で「できるようになるまでのプロセス」こそ、 楽しさのコアの部分であり、

いきなり「できる状態」からスタートして、 しかも事実上イニシアチブは自分たちにはない。

(ここからはぼくの見解だ)

イニシアチブを握っているのが

「先生」や「上級生」、それから「空気」

なのだから、

「自主的にやりたい」 「自分で考えてあれこれ試しながらやりたい」

と思えば思うほど、やる気が削がれていく。

これが

「ブカツはめんどう」マインド

につながる一つの要因と言えるかもしれない。

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「したい気持ち」➡︎「できない現状」➡︎「できる状態」

といえば、

ドラマの『ウォーターボーイズ』は

「シンクロをやりたいけれど、部員もいなければ プールも使わせてもらえない。しかも生徒会長は 自分たちのことを目の敵にしている。

なんとか部員も集まり、練習場所も確保した! これで順調…と思いきや、 メンバーの突然の退部宣言。 教頭先生の猛烈な妨害。

それらを乗り越えて、地域の協力も得て、 ようやく漕ぎ着けたシンクロ公演で 感動のフィナーレ!」という物語だ。

アニメ「ラブライブ!」は(ラブライバー乙!)

「廃校の危機を脱するため、 『スクールアイドル』全国大会に出場して 入学者を呼びかけ、よううと発案するも、 部員は集まらないし、オマケに 生徒会長はなかなか許可してくれない。

(「生徒会長の妨害」「生徒会長のコンプレックス」 「生徒会長の入部」はもはやセットなのかッ⁉︎)

なんとか部員を集め、 上級生(件の生徒会長)自ら『上下関係』撤廃宣言をし、 それぞれの個性でそれぞれリーダーシップを取りつつ、 大会への出場に漕ぎ着けるも、地区予選で敗れる。

のちに全国大会に進出し、なんやかんやで 感動のフィナーレ!」

という物語だったはずだ。

このテのストーリーには枚挙にいとまがないし、 ぼくは単純なので、だいたい、感動する。

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「ブカツはメンドウだったけれど、 一緒にブカツをやっている人たちは好きだったから 最後までやれた」

大学時代のブカツの同級生から 後日談的にそういう話を聞くことがある。

「これから一緒にやっていく仲間と仲良くしたい気持ち」

「上手く付き合っていくきっかけがない現状」

「気の置けない仲になっていろいろ話せる状態」

そのプロセスには、

他者のイニシアチブが介在する余地はない。