エモさとキモさのはなし

自分で感じたエモさを、 他人の家に土足で上がりこんで、 「ね、エモいでしょ?」と言わんばかりに 望んでもいないおすそ分けをする行為は、キモい。

そもそも、「エモい」というのは 2016年の流行語らしい。

その意味は

主に、(懐かしさや物哀しさで)感情が動かされた状態

らしい。

この「エモい」という言葉は 英語の"emotional"という言葉に由来する造語で、

「気持ち悪い」を語源とする「キモい」とは (奇しくも一文字違いであるが) その成り立ちにおいて、関係がない。

そう、成り立ちについては関係がないが、 「エモさとキモさ」を考えた時に 「キモいエモさ」というのは確かに存在すると思う。

何を「エモい」となすかは、 本来個人個人のエモーション(すなわち感情)に基づくはずだ。 感情がどんな風に動かされたか、というのは それぞれの経験・価値観によって異なるので、 「エモい」は形容詞であって形容詞でない。

主観的には形容詞であっても、 客観的・普遍的には形容詞でないのだ。

それにも関わらず、 (もちろん、「エモい」という言葉が 表に出ることはほとんどないけれども、)

他人の"エモーション"に土足で踏み入り、

「これって、感動的よね?」 「これって、おしゃれよね?」 「これには、哀愁を感じるわよね?」

と、特に望んでもいない"エモーション"の共有を、 もしも、水を差すことが許されないような、 同質の人たちばかりを集めた集団の中で行うならば、 その「エモさ」は「キモいエモさ」となる。