古いものにこだわりたくなった人のためのはなし

どうやら、人はある一定の年齢に達すると 新しい音楽を探さなくなるらしい。 https://nme-jp.com/news/56379/

これは、音楽に限った話ではない と僕は個人的に思っている。

ときどき無性にゲームをしたい、 と思っても、僕が手にするのは 大抵子供のころにやったゲームばかり。

ポケモン」や、「ゼルダの伝説」、 「スターフォックス」に「パワプロ」。

しかも、最新システムで動くものではなく、 あくまで自分がかつてプレイしたものを持ち上げて

「あの、ポリゴンカクカクのレトロ感がいい」とか 「ドット絵感がたまらない」とか、 ぬかしているのだ。 我ながら、恥ずかしい限りである。

仕事で知り合った子供たちが どんなことに関心があるのか、 知った方が良いんだろう、

とは頭でわかっていても、 もはや、新しいゲームのルールを インストールできるだけの容量が、 僕の頭の中にはそれほど残っていない。 というか、正直なところ 「もう必要(に迫られてい)ない」。

もちろん、昔のゲームが良くて、 今のゲームが悪いというようなことを 言うのはナンセンスだ。

ただひょっとしたら、 僕たちの頭の中には、 「ヒーロー枠」「モンスター枠」 「アイドル枠」みたいなものがあって、 それらが成人するくらいまでに 埋まってしまえば、

もう新しいヒーローや新しいモンスター、 新しいアイドルを探す必要はなく、

かつて愛したものを その無邪気な記憶と共に、 繰り返し繰り返し味わう、 と言う行為そのものに、

自分の「帰る場所」みたいなものを 知らずのうちに見出しているのかもしれない。

そうして、 時代が変わっても、 「これは、オレたち世代のもの」 と思えるような、 先人の手垢の付いていない作品が 絶えず生み出され、

その都度、上の世代からは

「自分たちの時代のものこそ至高であり、 新しいものはわけわかめ

と、詰られるのだろう。