人間の機微 のはなし

人間の機微を感じ取り、 それを知ったうえで 「どうしようか」と考えることは、

(おそらく、世の中には自分とは違う 感覚を持っている人がいて、 自分のおもう「正しさ」では 他人を納得させられないかもしれない、 と考えるようなかんじ)

結局のところ、 他人を理屈で押し切ることを妨げる 自分のうちの「弱さ」を認めることに 通じていて、ただしかし、

その「弱さ」こそ、 人の人間らしい部分だとも思う。

人間の機微とか、そんなことを かんがえているうちは、きっと

「求められたことの遂行能力」こそ劣れども

その良い意味で定まらない、 ファジーな「人間らしさ」が 垣間見えることで、 好かれるのかもしれない。

概ね、そういったケースでは好かれる自覚がない。 いや、好かれる自覚なんてない方がいい。

感じ取った「人間の機微」みたいなものに、 なんとか頭をひねって名前をつけて、 そういう感覚がある、ということにだけ 自覚的であれば、オーケーだ。