シモジモの民の「しのぐ」術 と おカミのすべきこと という視点のはなし
●7月のハイライトとして、 非常に個人的なことを挙げると 『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』 という本を読んだことだ。
自称・読書家であるにもかかわらず 読み切るのに3週間も要したうえ、
ケインズ経済学の基礎知識が 頭に入っていなかったばかりに、 まだ完全には理解していない。
●ただ僕はこの本のタイトルを ウェブで見た瞬間に購入を決意した。
「つながり」や「くらし」 「こころの時代」「不便の価値」「清貧」 「評価経済」などというワードに ずっと埋もれていたことを理由に、
ある種の科学としての経済学から 目を背けていたことを 見透かされたような思いをしたから。
●かつて僕は 1ヶ月7万円生活を送っていたことがある。
http://okagakiryoga.www2.jp/?p=1615
家賃・奨学金・通信費・医療保険 ・食費・日用品・交通費・交際費
このへんを7万円で賄っていた。 (当然、貯蓄はできない)
とにかく「労働時間を減らすこと」に 注力していた。
●その結果分かった 「7万円あれば『しのげた』」という事実は
これと言ったエンプロイアビリティ (「雇用され得る能力」のこと)を持たない 僕のような若輩者(余談だが、 童顔その他で年齢相応の扱いをされにくい)の
「エグジット・オプション」 (「自分にとって著しく都合の悪くなった組織などから 離れても大丈夫と思える拠り所となるものや考え」のこと。 「十分な貯蓄があること」はその代表例。)
としていつも、心に秘めている。
しかし当時、 価値観的な部分でぶち当たっていた壁があった。
●家計のために『節約』を志向する 僕のようにデフレマインドにどっぷり浸かった バジェットマインデッドな人間で、 かつ高度なプログラミング技術 (プログラミングのプログラミングができる程の) を持たない人間が、 それなりにギリギリの状態にあるとする。
●それでも脱・組織を目指して 『さぁ、おれもモノ・サービスを売ろう!』 と思ったときに、
じゃあ客目線で僕はそれらの「高付加価値」な モノやサービスを買うか?と自分に問うたら、 答えはやっぱり「否」なのだ。
それこそが僕のぶち当たっていた価値観的な壁だ。
●これは議論の余地があるところで
その「付加価値」が 「ストーリー」だったり、その他 使用価値をこえたところにある 妙にエモーショナルなもの、 さらには「人道」を説く プロパガンダ的なものだったりして、 それが「目に見えて“人として正しい”んだろう」と 思ってしまうほど
意地が悪いと思いながら 自分のこころが離れるのを感じたのだ。
●そうでなくとも結局のところ 自称「貧乏」という人たちにも大卒という学歴があり、 なによりも自身が「心身ともに健康である」という 事実に拠っているところが大きい。 節約は万能ではない。
そしてだ、自分が心身ともに健康で、 一人暮らし、もしくはDINKS (Double Income No KidS: 2人の収入・子供なし) で営むミニマムな収入と支出の生活をしていてもそれは
子育て(および介護)
という部分を、おそらくカバーできない。
(「やり方次第で」とか言い始めたら 「すごい一部の人」以外摩滅するからな)
●「わたし」が 「病気のわたし」と「わたしたち」 を賄いきれなくなったとき、 やっぱりお金は必要だ。
結局、「ミニマムな生活」もそうだし、 「(目的としての)起業」とか 「副業」とか、「投資」とか さらには「つながり」とか「清く貧しく」とか、 「エシカルな消費」とか、その手のワードは、
シモジモの者たちがシモジモの者同士で なんとか「しのぐ」ための方法のヒントであって、 それが自己目的化して 「これぞ、『生きること』」などと 述べることはお門違いだ。
●そして、それらをうまく組み合わせて 「やりおおせる」人々が「成功例」というのは なんだかおかしな話だ。
(それで人々の「購買力」が向上し、 これから景気が良くなると希望が持てて、 お金が市場に回るようになるか?)
何せ、繰り返しになるがそれらはどれも、 自称「貧乏」であろうとも 健康な心身・学歴・文化資本など 「持ってる」人の道楽なのだから。
●もちろんそれらは シモジモの者が「しのぐ」ための方法として 有効なことにきっと違いはない、けれど
「じゃあその一方で
シモジモの者に対しておカミのすべきこと 私たちがおカミに求めなきゃいけないこと
あるんじゃないの?
むしろ、そっちにこそ目を向けるべき 局面に来ているんじゃないの? 目を向けるべきポイント、教えるわよ」
というメッセージを受け取ったのだった。
(ケインズに一瞬カスッただけの感想を書いてしまった。)