大学生の学びにリターンを求めるな

大学生活においては、その時間すべてが自由な学びだ。 だから、学生に学びのリターンを求めるな!ほっとけ!笑

「大学の一コマあたりの授業料はなんと○○○○円!」とか 「親が苦労して進学させてくれたのだから」とか、 そういう文句で学生を授業に向かわせたり、 授業中に寝るな!と訴えたりする記事をたまに見かける。 その理屈はもっともなようで何かおかしい。

彼らは本当に自分の身になる授業だと思えば真剣に受けるし、 そう思わなければ単位のためにテキトーに受けることもある。

じゃあ授業に出ない、あるいは授業を真剣に受けない学生は 根っからの不真面目人間か?と言えば、そうとは限らない。

大学に進学する人たちは、「お勉強」のレベルに差こそあれど、 基本的には詰め込み詰め込まれ、学校生活の時間のほとんどを 「お勉強」に費やしてきたはずだ。 みんな「お勉強」はやればできる子たちであることは間違いない。

そんな背景を考えると、「授業に出ない」学生は 同じ尺度で評価された高校時代までの学校生活から解放されて 「授業に出ない自由」を手にしたとすら思える。 もちろんそのリターンは自分が喰うのだけれども。

授業には出なくとも、それ以外に没頭できる何かを持っていたり、 何かしなければいけないような気がしながらも、 何をすればよいかわからずにもがいていたり。 そんなこと全て、誰かの監視や指示のもとではやりにくかったこと。

そうやって(学生の身分である以上、「ゆるい」ながらも) 自分の責任のもとで、一人暮らし、アルバイト、受ける授業、 時間・お金の使いかた、あらゆることを組み立てていくこと。 それこそが「お勉強」とは違う、「人生の勉強」ではないか。 座学の授業料がどうとか、それとは別の話だ。

よく「日本の学生は不真面目だ」とか、 「(比較的リターンが不明確な)文系学部は廃止してしまえ」とか、 そういう議論がなされるけれども、どちらかと言えば レールにガッチリ嵌められてくそ真面目に勉強していた反動。

自由な学びから自由な発想を出せる人を育てる機関、それが大学。 そんな風に僕は思う。授業料も、そのための不確実な投資。 もちろん、その是非までは言及できない。

ただ、会社に入って何もしなければ、 またガッチリとレールに嵌められてしまうから、 大学での学びの価値が軽視されるんだろう。