「辞める理由」と「辞めたいほど嫌だと思っていること」は全くの別物。

私事ながら、今月の15日付で 去年の4月から勤めていた会社を退職することにした。

ある日「あ、会社を辞めよう」という考えがスッと入ってきて、 その日のうちに上司に辞意を告げた。

それに続いて、言葉にできるような「会社を辞める理由」を探した。 理由を周りに説明しなくてはならない機会がいくつもあったからだ。

当然、会社生活で抱いていた不満がたくさん浮かんだ。 けれども、「会社を辞める理由」としてはしっくりこなかったし、 「こういう不満があったから、辞める」と言うこともなかった。

事実、僕は不満を抱きながらも、その瞬間瞬間で 「会社を辞める」という決断を下さなかったし、 実行に移しもしていなかったからだ。

後に気付いたのは、 「実際に辞める理由」と「『辞めたい』と思うほど嫌なこと」 は全くの別物だということだ。


●基準は「行動」

「行動」という判断基準で考えたとき、 (過去の記事を参照)

僕は実際に「辞める」という行動に出ていなかったという意味で、 「『辞めたい』と思うほど嫌だ」と思っていた時間は 「本当に辞めたい」なんて思っていなかったし、

不満がありながらも、 何とかそれを乗り越えて続けようとしていた、という意味で、 「本当に続けたい」と思っていたのだ。

それに、「辞める」と決意して行動に移すことを決めた 引き金を引いたその一瞬は、全く別のことを考えていた。 それこそが、「本当に会社を辞める理由」なのだ。


●「じゃあ、それが解決したら辞めないの?」

僕はいつかノートの端っこに 「不満だけが理由のうちは辞めるべきではない」と記していた。

それは「『逃げ』だと思われるのが嫌だから」みたいな 美しい(?)理由ではない。

「じゃあ、その不満が解決したら辞めないの?」

という質問が出てしまったときに、ぐうの音も出なくなることを 恐れたからだ。

「給料が少ない?じゃあ給料倍にすればいいか?」

「休みが少ない?じゃあ1週間休みあげるから、 どこかに旅行にでも行っておいでよ」

「人間関係が上手くいかない? じゃあ違う部署でやってもらえるかな」

(「ぐうの音も出なくなることを恐れて」いる時点で、 僕の気持ちは「改善」ではなく「辞める」方向を 完全に向いていたから、ここで論破されるわけには 行かなかった)

それに、不満が理由で辞める、ということは 一種の被害者意識のようなものを自分の中に強く持ったまま 辞めることに等しく、

次の職場を探す、となった時に過度な期待がかかってしまう ことによる問題が生じる。

職場での仕事は自分でコントロールできないにも関わらず

「これまでの不満を満たしてくれるんですよね?」

という暗黙のプレッシャーを相手に与えつつ、

その考えでは もし不満が次の職場で満たされなかったら 再び転職を検討しなくてはならないのだ。 なんとも危険なギャンブルだ。


●「でも、リスクが...」

辞めることを検討するとなると必ず頭をよぎるのがリスクだ。

「今辞めたら今後の生活が不安定になる」

「また正社員で雇ってもらえる保証はない」

「ローンが残っている」

などなど。

実際に僕も学生時代の奨学金が100万単位で残っているから メチャクチャ不安である。....笑

ただ、ちょっと考えてみよう。

同じく、職を失うケースは他にもある。 もちろん、かなりのレアケースではあるものの、

明日、会社をクビになるかもしれない、とか

明日、会社が潰れるかもしれない、とか

地震で会社どころか家も失うかもしれない、とか

ちょっと思いつくだけでもいくつかある。

(ちなみに僕は 「明日死ぬかもしれないんだから、もっと自分のために生きよう」 みたいな域には達していないのであしからず。)

そんな例え話を持ちだしながら 「明日仕事を失ったらどうする?」と聞けば

「いや、その時はその時でなんとかするしかないっしょ」

そんな風に答える人がほとんどのはず。

(「仕事を失ったら自害する」という人も、 世の中にはいるかもしれないけれども・・・)

と、いうことは・・・

みんなの中には、たとえ何かあって仕事を失っても

「何とかする」とか「何とかなる」とか、

そういう前提がある、ということ。

となれば、

「何とかなる」という前提があるのにも関わらず

「辞めたい」と言いながら(思いながら) 「リスクがあるから」と言って実行に移さないでいるのは、

「『辞めたい』と思うほど嫌だ」と思う気持ちを 「何とかしたい」「何とかしてやる」 という気持ちが上回らなかったからだ、と分かる。

じゃあ納得か?と聞かれてもしっくり来ない人がいると思う。

きっとそれは、

自ら退職するのと、意に反して仕事を失うのとでは 大きく違うからだと思う。

その一つは「失業状態を自分で作り出してしまったか否か」にある。

もしも意に反して職を失うのであれば、 周りの人から同情もされるだろうし、 援助がどこかから降ってくるかもしれない。

一方で自分の決断によって、自分の信念によって、 退職するのであれば、

「それは自分で決めたことだから、自分で何とかしなさい」 という目が向けられることは間違いないし、

その証拠に(?) 退職金・失業保険などの制度の面でも心もとない。

一番人が恐れているリスクは 不安定でも雇用でも、ローンでもなく、 自分で決断したことによる「孤独」に他ならない。


●終わりに「僕が会社を辞める理由」

ある日、僕は会社の同僚と 自分の理想について話をしていました。 その時フッと気づいてしまったのです。

「あ、結局おれはあれこれ言うだけ言って 何も行動に移していないんだな」

「じゃあ、今(会社を辞めて)何とかするか」

それが引き金です。

それを踏まえて、 僕が会社を辞める理由は、実はかなりシンプルで、

現状を「何とかしたい」という気持ちが 「会社生活の改善」ではなく「辞める」という行動に向かわせたからであり、 「孤独」を引き受けてでも「何とかしたい」と思ったからです。

(「何とかする力」? 大学のボート部時代に培ってきました。

「ボート部はおすすめか?」―おすすめしないというところが、おすすめなのです

「孤独」? リーダーシップをとってきた僕はいつも孤独でしたし、 孤独を愛しているからこそ、見知らぬ土地へ引っ越して、 楽しさを見つけることができました。

そんな風に思えば、仕事を辞める今こそ、 学生時代に培った力が試される時なのかもしれません、、ネ!)