1日にやれることは、多くない
●ぶっちゃけ、何もしていない。
退職してからもう1週間以上が経過した。 さらに言えば、そのちょっと前から有給休暇消化に入っていたから 会社に行かなくなって2週間近く経ったことになる。
「脱社畜」みたいなキーワードが世に出始めて、 それが広まってしばらく経つころだから、
「会社を辞めてさあどんなすごいことをするのか!?」 みたいに思ってくれる人はいるかも分からない。笑
しかし、僕は旅に出るわけでもなければ、 流行りの(?)「googleサマーチャレンジ」みたいなことを やっているわけでもない。
今のところ、ブログを書いたりギターを弾いたり、散歩したり、 ただ、自分の好きなことを、好きな時にやっているだけだ。 昼寝もしているし、5月からハマっている乃木坂46の動画を ほぼ毎日見ている。笑
(あと、変わったことと言えば、 彼女が仕事を終えて帰ってくる時間に合わせて 夕飯を作ってあげられる時間ができて嬉しい、ということ。)
そう、ぶっちゃけた話、大したことは何もしていないのだ。
・ただ、気をつけていることがある
何もしていないけれど、何もしていないなりに 気をつけていることがある。それは
「1日にやれることはそんなに多くない」と認め、 たとえたくさんのことができなくても絶対に自分を責めないこと。
もともと1日中動いて「いなければならない」と 思うタイプのクソ真面目な自分からすれば、 これは大改革だ!
●そもそも一日にやれることは多くない
「1日にやれることは、多くない」というと、 「は?おれは1日にたくさんのことやってるから」 みたいな人もいると思う。
大事なのはその考え方にこそある。
・仮に、「1日にやれることは多い」としよう
ショッピングを例に話を進めよう。
たくさんお金を持っているある男が、 何でも買える状況にあるとしよう。 大きいショッピングモールに行ったらきっとこうなる。
「そろそろ洗剤がなくなるから、買っとかなくちゃね」
「あ、いつも奥さんには助けられてるから、 今晩はごちそうに、高級肉を買って帰ろう」
「テレビで話題のセラミックフライパン! これがあれば便利だよね~」
「そうだ!予備の電池も買っておこう」
「そういえば、靴もそろそろ替え時かなぁ・・・」
そんな風にしていっぱいになった買い物かごを見て
「よし!今日はたくさん買い物をしたぞ!」
そんな気分になって嬉々として帰るだろう。
気づいただろうか?
「一度にたくさんのものが買える」という考えでは、 予備の洗剤は良いとして、 予備の電池とか、高級肉とか、何となく買い替える靴とか、 セラミックフライパンとか、 「いま、必要なもの」ではないものまで買ってしまう。
「いつか」のために、なんとなく買い置きしてるだけか、 もしくは必要以上のものを買っているだけだ。
そんな風に、 「1日にたくさんのことができる」的な考えでは、 「あれもこれも」と言って、 不必要なことで1日を埋めているだけ。
・たくさんのことができる日は、続かない
じゃあ、 「ほんとに必要なことで1日終わっちゃうんですが」 という人もいると思う。
それが感性レベルで「ほんとに必要なこと」ならいいけど それが理性レベルで「ほんとに必要(だと思っている)なこと だったら大変だ!(@_@;)
「そこに無理している気持ちがあれば、続かないブー!」 【参考】ムリ度合いと継続期間は反比例
「必要な」タスクが定量的なものなら時間が経てば終わるし、 続かなくて結構。 「必要な」タスクが定性的なものなら、そういう生活は続かないし、 先に心身がやられてしまう。
ベースの意識としては「1日にやれることは、多くない」。
そうでないと、不必要なものに溢れるばかりでなく、 心身さえも壊れてしまいそうだ。
・そうと分かれば、せめて大事なことはやろう
「1日にできることは、多くない」 そういう考えに立てば、必然的に
「じゃあ、せめて優先順位が高いことだけでもやろう」
という風に考えるでしょう。
●いくらグズグズしていても、やるときはやる
(過去の記事を参照)
「ああしたいのに、できていない」 「これをやったほうがいいのに、できていない」 「いつか、こうしよう」 そういうことが頭にのぼることはしょっちゅうある。
まてまて、 それは心の底から「やりたい」と思ってなんかいないよ。
親が「宿題やりなさい!」と怒鳴っているのに対して 「やーだよ!」と返す子どもみたいなやりとりを 自分の頭のなかでやっているだけだよ。
「やりたい」と心の底から思えば、 それはもう意識にのぼるまでもなくやってしまうだろうし、 周りの言うこともあんまり関係ない。
普段グズっていても、やるときゃ無意識レベルで必ずやる。
「いつか会社を辞めよう」と思ってグズグズしていたけど、 スッと「辞める」ということが心に入ってきてからは、 誰の言うことにもブレずして、 「辞める」というミッションを完遂したのだ。
●今できることは「感性に耳を傾けること」
どうせ子どもに「宿題やれ!」と言ったところで 「やりたくないやい!」と反発してやらないかもしくは、 やっても大したパフォーマンスは発揮されないでしょう?
そうとわかれば、 今できることは、「感性に耳を傾けること」。
親が子供を見守るかのごとく、 自分が今何をしているのかを知り、 感性が「やりたい」「やりたくない」と言うのをキャッチして、 そう動けるようにそれをサポートしてやること。
それに尽きる。
●おわりに
冒頭で述べたように、 スケジュールをいっぱいにして、 1日の時間いっぱい何かを「した」という 事実がとにかく欲しかった自分からすれば、
「『1日にやれることは、そんなに多くない』 と認めたうえで絶対に自分を責めない」
ということは大改革であり、 感性を理性に優先させている状況はまさに感性の「下克上」だ。
(そして、こんな風に理屈っぽく書き出せば、 僕の中の「理性くん」も納得してくれるだろう。)
たとえ理性でコントロールしようと思わなくとも、 「やる時は必ず動く」ということも分かっているし、 何よりそうやって動いた時こそ、パフォーマンスが高い。
そうとわかれば、いまできることは、 感性に耳を傾けて、そのとき大事だと思ったことをやること。
自分を責めることの必要性は、そこにはもはやないのだ。