「アート」と「仕事」

センスや感動・ひらめきの瞬間の自己表現が「アート」で、

表現があって初めて需要が生まれることもあるし、一生生まれないかもしれない。

それに対して、需要があるような“表現”(作“品”⇒もはやそれは「品(シナ)」)

を持続的(定期的)に作ることは「仕事」。

 

だから、おそらくアートを仕事にするのは辛いと思う。

アートは結果が不明瞭だし、時には自分のセンスや感性に背いてでも、

需要のあるものを作らなくちゃいけない場面に遭遇したとき、

アーティストとしての葛藤もあるだろう。

(ただし、アーティスト自体が気に入られていれば、多少アートの質が

本人にとって不本意であっても、「ウケる」ことはある。)

 

しかも、アートが感性の瞬間をとらえたものであるならば、

持続的に生み出されるものでもない。

 

かつては「アーティスト」と呼ばれた人たちが、

ぺらぺらな、手あかのついたフレーズを並べたラブソングを歌うようになってしまったのは、彼らが「アート」を「仕事」にしてしまったから、かもしれない。

しかも、売れるのはそういう人たちであるのも事実。

 

話は戻って。。。

それではなぜ、人々はアートを生み出そうとするのかというと、

多分自分を表現することは最高に気持ちがいいからで、

それが人に認めてもらえればなおさらだから、ダ!

 

補足

もちろん、アーティストの「人の気持ちを動かしたい!」という気持ちに基づく「努力」や「覚悟」は人としては立派ですが、人の心を動かすのはあくまで結果であってそれが目的と化したり、本人が「努力」と思った時点で、そこから生まれた作品は真の意味での「アート」ではなくなってしまう、と僕は思うのです。ただし、素直な気持ちから生まれた「努力」や「覚悟」、その他バックグラウンドも含めると、その人そのものが「アート」となることは十分にありうることです。作品自体が陳腐(もしくは一般人には理解不可能なほど前衛的)でも「ウケる」のは、「アート」と「アーティスト」は切り離すことができない関係だから、なのでしょうね。

しかし、時として「アート」に寄りすぎると共感できる人の層が極端に薄くなってしまうので、もし作品を通じてコミュニケーションを図りたいならば「仕事」を否定するつもりは全くなく、むしろ両方含めながら、それでいてきちんと「アート」側に寄せていくことが大事だと思うんです。