「一流になりたければハードワークをしろ」?

こんな記事を見つけた。
 
この記事の要点をまとめると、
・「効率化」などという美辞麗句のもと、たいして働かなくてもいい状況がつくられていることが問題だ
・「効率化」が必要なのは、仕事の手順などが(ルーチンワークのように)確立されている「オペレーション」の分野
・プロフェッショナルやイノベーションの世界では「限界への挑戦」が仕事なので、「効率化」という名のもとに
仕事の時間や量を減らすことは組織の弱体化につながる。
・一流の人たちは、みなハードワーカーなのだから、成功したければたくさん働きなさい。
...という感じ。
 

「量」は大事か?

結論から言うと、仕事や練習で量をこなすことは大事だと思う。
「一流の選手、一流のチーム、一流と呼ばれる仕事人はおしなべて
たくさんの時間をかけて仕事をしたり、たくさんの時間をかけて、たくさんの量の練習をしたりしている。」
そんな話は枚挙にいとまがない。
 
ただ、それは「もっと(仕事や練習を)やりたい」という気持ちが
心の内から沸き上がってきた場合、という前提があってのこと。
 
リーダーや指導者から「一流の人はみなハードワーカーなのだから」論を持ち出されて、
自発的なモチベーションが大してないのにも関わらず「量」を”やらされている”人たちは本当に気の毒だ。
 

量をこなすことは向上の「手段」ではなく、向上心の「結果」

本当にやりたいと心の底から思っているのなら、誰かに言われずとも勝手にたくさんやるものだ。
もっとも、その状態にある当人にとっては、たくさん仕事や練習の量をこなすことは
「ハード」なワークでも、「たくさん」でも何でもないのですが。
だってそれがその人にとっての当たり前なのだから。
 
「たくさんやること」は「もっと向上したい」と思って仕事や練習に取り組んだ「結果」であっても
「もっと向上させる」ための「手段」であってほしくはないですね。
 

「量をこなせ!」と命令する前に...

もし誰かに向上してほしいと思うのなら、
「一流みなハードワーク」論を持ち出す前に、
その源である、どうしたら「本当にやりたい」と思ってもらえるか、を考えた方がよろしいのでは。