「自分に誠実」であることー「親」と「子」の関係性からー

「自分」と呼ばれるものは

 
「親」としての自分
「子」としての自分
 
の2つからなっている。
 
どれだけ自分に誠実か、というのは
どれだけ「子」が「親」を信頼できるか、ということによく似ている。
 
 
(ここであえて、
コントロールする「脳」の自分と、実際に動く「身体」の自分
という風に表現しなかったのは、
2つの自分がそれぞれに心を持っていることを示すには、
親と子という表現がしっくりきたからである。)
 
 
ここで、親と子の役割(特徴)を示す。
 
親:これまでの人生経験をいかしながら、その時々に応じて適切な助言を与え、子がこれから社会でなにかの役割を果たしながら、社会(家族という社会、学級という社会、恋人関係という社会、部活動という社会、会社という社会、など...)で「生きる」ことをサポートする。
 
子:実際に社会をこれから「生きる」。次世代を担う。
親が持っていないような(常識というやつを身に付けるなかで大人が剥ぎ落とされてしまった)センスを持っていて、
親よりもわがままだが、親を驚かせるような才能や情熱、素直な心を持っている。
ポテンシャルは親よりも大きい。
 
 
以前、「自分に誠実であれ」という記事を書いたが、
 
 
自分に誠実であれば何をしてもいいのか、といえばそうではない。
 
同じように、子が「~したい」「~したくない」と言ったことをそのまま聞き入れればいい、
というわけではない。それでは「甘やかし」になり、わがまま放題で育てば、
社会で「生きて」いくことが難しくなるだろう。
(別に周りと同調しろ、と言っているわけではないが...)
 
 
反対に、「強い子供を育てるには厳しさが大事」とかいって、必要以上に
子の「~したい」「~したくない」を潰せば、
子は「この人は自分のやりたいことをやらせてくれないんだな」とへそを曲げてしまうだろう。
 
 
あくまで、基本的には「自分の子どもだから大丈夫」というスタンスで、
きちんと子のやりたいようにやらせて、
(子が「やりたくない」と言ったことを、無理矢理やらせないのも同じく重要)
それでいて、ダメなときはきちんと子が納得できるように理由を説明して、NOと言う。
その結果、「この人は干渉しすぎず、かつ、自分をいい方向に導いてくれる」というような
安心感ができる。そのとき、子はのびのびやれて自分の力を存分に発揮できる状態にある。
 
自分の中の「親」と「子」がこの状態にあるのが「自分に誠実」な感覚なのである。
 
 
たとえ「子」が「親」も考えないような(時には常識から外れた)ことをしたがっても、
まずはやってみなさい、の精神でいろいろやらせてみる。
失敗したら子は親が教えなくともたくさんの経験を学ぶ。
うまくいったら思いきり誉めてあげればいい。
「父さんだってそんなことできないなぁ」なんて言ってね。ますます子はやる気になるね。
たとえ上手くいかなくたって、果敢にチャレンジしたことを
誉めてあげる。
 
そんな感じで、自信というのは身に付いていくんじゃないかなぁ。