幸せの彩り・日本酒

僕は普段、酒を飲むよりもカフェでコーヒーを飲む方が好きだ。
日本酒を造ってるくせに。
 

そもそも、酒類を飲む人はたくさんいれども「とりあえず飲もう」みたいな感じじゃなくて、

その人の幸せのgenuineなところに寄り添うものでないと、日本酒は選ばれないと思うんです。
缶チューハイとかビールとかに比べると、日本酒は高価だもの。
それに、ネットを通じて何でもできちゃったり、飲むにしても
日本酒の取り扱いが少ない洋風のお店に行くことの多かったりする(若い)人には特に、
楽しみの種類が多すぎてその中から「日本酒を飲む」というのが選ばれるのは
結構、「よっぽど」のこと。
 
ただ、それを凌いで酒を飲んでいて幸せだと思う時がある。
それは、僕が本当に好きな人(たち)や、これからもっと好きになりたい人(たち)と、
いま、考えていること、感じていることを語り合いながら、美味しい日本酒を飲むとき。
「あの時はああだったよね」っていう昔の話は使い捨て。
考えていることを語りあう、というのが大事なポイント。
そしてできれば、お店より食卓で。時間を忘れて話ができるから。
 
じゃあ、となるのが日々の食卓である。
もちろん、家族の集う日々の食卓で日本酒を飲むことを、
特別視するべきだとは言わない。だけれども、そういう時間は
大好きな家族が集まったときだけの大事な時間なんだと感じるように、
心のセンサーの感度を調整することはやっておきたい。
そんな風に感じられたら、最強。
 
思うに、かつての日本酒のポジションがチューハイやビールに取って代わられた今だからこそ、
日本酒は飲む人の「幸せ」(「楽しみ」どころではなく、だ)を彩るものであるべきだし、
たぶんそんな方向に向かっている。
「純米」「吟醸」志向は、日本酒を「酔うためのもの」ではなく、「味わうもの」と見ていることの現れなんだろう(アル添酒にも美味しいものはたくさんありますが、この志向が意味するところは尊重したい)。
 
どんなに居心地のよいカフェに居ようと、
どんなに美味しいコーヒーを飲もうと、
日本酒のある「幸せ」には敵わないんですね。