「バリエーション」という呪縛

いわゆる「ミニマリスト」(モノを極力持たないシンプルライフを目指す人々)の
本を読んで、衝撃を受けたことがあった。
その著者は、服装を考える手間を省くために、気に入った同じ服を複数持っているというのだ。
だから、例え一枚洗濯してしまってももう一枚(二枚かもしれない)同じ服を持っているので、
いつでもお気に入りのスタイルでいられるのだそうだ。
 
 

散歩していて改めてふと思ったのだけれども、

僕たちは「バリエーション」というものに囚われてはいないだろうか?
 
例えば、クローゼットの中の服。
バリエーションをつけないと「またその服なの?」って思われるかもしれない。
TPOをわきまえた格好でないと、なんだばつが悪くなりそうだ。
そんな恐れから、本当に気に入っている服でもないのに捨てられない。
余計な選択肢があるから服を選ぶのも面倒だ。
 
食べ物にしたって、
様々な品目をバランスよく食べなければ健康をそこねるかもしれない。
そんな風に思うと、普段買わない食材を、安売りを期に買ってみることもある。
しかし料理の方法がわからない。いちいちクックパッドで調べてたら面倒。
 
実は、バリエーションがなくても大丈夫なんじゃないかなとも思い始めている。
 
スティーブ・ジョブズだって、プレゼンのときはいつも黒のタートルネックにジーンズ、スニーカーだった。大学の同級生の彼も、学生時代はほぼ毎日スーツだった。
最初のうちは「またそれ?」かもしれないけれど、それが続けばそれがその人のキャラになる。
選ぶ面倒くささから解放されながら、自分の心にフィットするスタイルでいられる。
 
僕の冷蔵庫には、今となっては食べるものは酒粕と卵しかない。
だけど、消化に胃腸が疲れることがなく、むしろ健康でいられるのだ。
(昼は職場で給食弁当を注文して食べている。)
ものがなければ食べないし、大好きな酒粕は常にストックしてあるから、
僕は好きなものしか食べていない。
 
バリエーションというものへのこだわりさえ捨ててしまえば、
その人が本当に好きだと思うものだけが自然と残る。
ものが少なくて日々の細々した選択がシンプルになった分、
本当に自分がエネルギーを注ぎたいものに打ち込む余裕ができる。
他人の目を気にせず、自分は自分、と思えるようになる。
 
ただ、ちょっとの勇気は必要。
 
僕の目下の悩みは、
誰かが死んだり、結婚したりしたときのために、
滅多に着ることもない礼服を用意すること、である。