「つながりたい欲求」を直視してこなかった

これまで、少なくとも7年間は不作為(「何かをすること」よりもむしろ「何かをしないこと」)の技術や思想を追求し、色々と文を書き連ねたり主張したりしてきたのだが、自分含め人々の「(作為:「なんかすること」 による)つながりたい欲求」を、たぶん直…

自分にとってのジャムおじさんは誰か

「人を助けるために頑張ること」が「自分の何かを差し出すこと」と近づいてしまっているとき、「アンパンマン」を思い出したい。 アンパンマンは弱っている人に自分の「顔」をちぎって差し出すことができる。しかし顔が欠けている状態では十分に力を発揮する…

とりあえず「なんかした」証明が欲しくて

「タックルを一本決めただけで、あとは試合の結果がどうであろうと、どうでもよかった」という感じだったのかもしれない。 僕は高校時代にラグビー部に所属していた。(正確には思い出せないが)オフェンス(攻め)に自信がなくて、いまひとつ攻撃面ではパッ…

「頑張る」は雨を降らすようなもの

「頑張る(「無理をする」の手前みたいなもの)」というアプローチはたぶん、野菜作りにおける雨のようなものだ。雨が降らないと野菜は育たないが、雨はまた土壌を酸性に傾ける。土壌の酸性が強くなると野菜の生育に悪影響を及ぼす。 より良い野菜を作ろうと…

聞くということには能動的な側面もある

「聞く」ということには能動的な側面もある。例えば、「好きなおにぎりの具は何か?」という質問をした後に、「僕が好きな具はなんとカラアゲで、妻がかつて僕が辛い時間を過ごしていた時にカラアゲ入りの(両手の拳をくっつけて)こんなにデカいおにぎりを…

余白とは

余白とは、 洗い物をしようと思ったときに食器カゴが空いていることで、 4×4のスライドパズルの隅っこのひとマスが空いていることだ。

「今日は何をしようか」「今日はどこに行こうか」のはなし

職場なんていうものがあるうちは、僕たちにはとりあえず毎日行くところがあって、自分の座るイスがあって、とりあえずやることがある。だから「今日は何をしようか」「今日はどこに行こうか」といったことを考えずにむ。そして、与えられた休日に何をするか…

たたかう ということ

「あなた、相当たたかってしまっているのね」と言われる。「たたかうことは、よくないこと」というニュアンスもある。「たたかうから、疲れるのよ(だったら、たたかうことをやめてしまいなさい)」と言われて、「たたかうことをやめた方がいいのかな」と思…

オリジナルは制限の中から

案外、オリジナルは制限の中から生まれるのかもしれない、ということを考えた。 例えば長野県の名物・信州おやきは、米作りに適さない気候の土地から米の代替食として生まれたと言うし、岩手県西和賀町のビスケット天ぷらは、冬に雪が深くて買い物に行くのも…

居場所のパラドックス

日常的に頑張って羽ばたいている人が疲れた時に一休みできる止まり木のような「居場所」があるとする。そこを訪れる本人にとっては居心地が良いが、居心地が良いからこそ、そこに普段の人間関係を持ち込みたくなかったり、その場所が「隠れ家」であってほし…

より「マシ」な理想追求のために

「自分の理想を追求しようとするな」とは2019年、リーダーを任された自分が自分に投げかけた言葉だった。 つまり、自分が嫌った社会もまた、誰かの理想追求の先にある社会だったはずなのに、自分が理想追求をしてしまっては、結局また誰かにとって嫌な社会に…

変わるのは難しい・変わり方が分からない

現状が良くなくて、変わった方がいいと自分でも思っているんだけれども、変わるのが難しい。 例えば「いじめられっ子」を自認している人が、もはや安全な場所にいたとしても「いじめられっ子」っぽい振る舞いや行動パターンが抜けなくて、良い人付き合いがで…

共同体と「仲良くしない権利」

「共同体」みたいなものを謳うときに、「仲良くしない権利」というものをセットで保障しないと結局いじめが起こる環境になりうることに注意。

管理されないと頑張りすぎる

(自律的な人物にとっては)管理されない方が自由にやれてよかったとしても、(特に他律的な人物にとってはむしろ、)管理されないと「頑張りすぎる」ということが起こるんじゃないか、ということを妻から教えられてハッとした。「頑張らせすぎないための管…

デジタル・デトックス

もはや、ここまできた以上はFacebookやTwitter、SmartNewsなどから流れ込んでくる大量の情報が自分を幸せにはしないことを思い知ったので、寝室に持ち込んで良いのは漫画『よつばと!』だけになりました(飛躍)。

情報発信と打算のあいだ

「これぞ、メディアに掲載するのに良い瞬間だ」と思って撮れたスナップ写真を実際にメディアに掲載しようとするとき、ちょっぴり引き裂かれそうな思いをする。 多分、その瞬間はその場にいる人たちのために訪れたのであって、メディア用に訪れたものでも、他…

「みんながやりたがらないこと」

(メモ) 目の前の人を助けられないこと・助けられない罪悪感に苛まれること

最期の別れ

2日前、実家で飼っていた犬が亡くなった。 もともとこの犬は祖父の家で飼っていたもの。5年前に祖父がこの世を去り、しばらくは祖母が犬の世話をしていたのだが、それにも限界を感じた母が3年前に私の実家に引き取ってきた。私は実家ではないアパートで生活…

「下方比較」と「もの言えぬ苦しみ」のはなし

「傷つかなきゃいけないと思って、一生懸命傷ついてきたんですよ」 最近、妻の勧めでくどうれいん著『氷柱の声』という小説を読んだ。この小説は東日本大震災における、いわゆる「大きな物語」にあてはまらず、本人が「言うほどじゃない」と思っているような…

「下方比較」と抑圧の再生産のはなし

自らの苦しみが「どのようなもの」か形容できなかった経験が、のちに他の誰かの苦しみに対して「そういうもの」などと宣って、考えることを抑圧することにつながることを考えても、言語化することの大切さを思う。 去年の5月半ばに新聞に掲載されていた、公…

「自尊心低めのムーブ」と「穴の空いた風船」のはなし

それはまるで、穴の空いた風船を頑張って膨らまし続けるようなものだ。 2021年はたまたま歯医者の待合室に置いてあった『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』という本に出会ったところから始まった。ざっくり一言で言えば「自尊心が低いから」または「自…

「正しさ」の取り扱いの難しさ

今回の選挙も…「野党代表が自民党政治を批判し『まっとうな政治を』と叫べば叫ぶほど、市井の人はそれを『自民党に投票する人の見識は間違っている』と脳内変換する。もっと勉強しろ、と上から目線で言われていると感じるのです。だから人々はその瞬間、心を…

「多様性」について

「世の中には色んな人がいるからねぇ」と誰かがつぶやくとき、そこには大抵ネガティブな意味合いがある。「思いもよらない(“多様な”)発想から文句をつけてくる人がいる」(だから、それはやめておけ)という具合にだ。このネガティブさが、多様性の本質を…

なかったことにしようとするほど、意識する

「自分の娘に昔の恋人の名前をつけるって、どうかしていると思いませんか?」 そう灯里が問うと、「私もそう思います」とその場にいた人が次々に手を挙げた。 僕が連休中に見たドラマ『最高の離婚』のスペシャル版におけるワンシーンだ。 諒「娘の名前は僕が…

今後、集まることの本質が問われるようになると起こること

先日、上司に送ったメールの終わりに「今後は良きにつけ悪しきにつけ、集まることの本質(あるいは目的)が厳しく問われるようになる」ということを書いた。自分で書いた言葉なのに、帰り道にその言葉がじわじわと効いてくる感じがした。 まず、「本当に集ま…

誰でも取り残されうる

便利なオンラインサービスを使おう、と提案すると「じゃあ、それを使えない高齢者はどうなるんだ!(だから、それを使うのをやめろ)」となる。ただ、もしもそのオンラインサービスの普及率が8割9割くらいにまで達している場合、ましてそこに投入できるリソ…

世間に「傷ついた」人々のケアについて

承前 既に傷ついた人々 自分のしたことについて、《上司》《家族》《客》に頭ごなしに否定・却下され、非常に嫌な思いをした。かつその際に対抗原理(「あくまでも自分の主張は正しい」「相手の方が間違っている」と言えるだけのロジック)を持っていなかっ…

「世間」出身者もケアされないと先に進めない

「世間」はある種の宗教のようなものであり、生きていくための振る舞い方(のうちの一つ)を示してくれるものだと僕は思っている。ある特定の社会を超越するものとしての「世間」のルール(※1)にハマっている限り、突然知らない人の社会に放り込まれても、…

問題の当事者は誰だろうか

自分は問題だと思っていないことを指摘され、問題の当事者に「される」とき、そこには当事者性がなくなり、結局、自分の感覚を頼りにしなくなるということを指摘したい。 先日近くの湖でボート(競技用)を漕いだ。僕には大学で4年間やってきたにも関わらず…

「順番にどうぞ」問題

突然だが僕は会議などで「順番にどうぞ」というスタイルで順繰りに喋っていくというやり方がくそ程に苦手であり、嫌いだ。僕はそのような会議のあり方がむしろ人々をコミュニケーションから遠ざける要因にもなってしまうことを指摘したい。 普段のコミュニケ…