愚者だから経験に学びたい

賢い人に「俺ならそれはやらないな」と言われたとしたら、

その人は賢いゆえにそれができないのであって、

自分はその人たちに比べて「賢くない」ゆえに

できることがひとつ多い、ということ。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」

ということなんだろう。

たとえ、エポックメイキングなことができなくとも、

なまじ「歴史に学んでしまっ」たことで

「やってみたい!」という好奇心を殺してしまうくらいなら、

一人の「愚者」として何かを経験することは、

必ずいつか役に立つ、とまではいかなくとも、

役に立つ可能性を秘めたタネをひとつ持っている

くらいのプラスを手にいれた方がマシ。

そのタネにどれだけの意味付けができるか

(=その経験が後の自分に対してどんな価値を持つか)は、

死ぬまでわからない。

たとえば、道半ばで何かを「諦めた」としても、

早々と諦めたお陰で他に達成できたことがあれば

「あのときやめておいてよかった」ってなるんでしょ。

難関校にチャレンジして失敗しても、

失敗した先の人生でいいことがあれば、

「あのとき受かってなくてよかった」ってなるでしょ。

逆に、あのとき持っていた

「やってみたい!」という好奇心を潰せば、

それが叶わぬまま勢いが失われて、

最悪、そのまま消えてなくなってしまうかもしれない。