「望ましくない結果」を引き受けさせてもらえるか?

「果たして、この女の子たちは

『売れない痛み』を引き受けさせてもらえるのだろうか」

そんなことを思ってしまったのは、

乃木坂46の妹的アイドルグループ「欅坂46」の

MVを見ていたときだ。

欅坂46といえば、先述の通り

人気絶頂にあるグループの妹分であるうえ、

秋元康プロデュースのアイドルだから、

「売れて当然」と思われているだろう。

そんな彼女たちの出した曲が、例えば

「売れない」という事態に直面したとする。

そこで痛みを感じるかどうか、というのは

「本当に自分がこの活動そのものを続けたいのか?」

という問いを本人の中に提起してしまう。

そこで大した痛みがなければ、どこかで

「所詮は他人事」という気持ちが

生じてしまいはしないか。

そんな事を防ぐためにも、

(意識に上がるかどうかは別として)

運営側はあの手この手で

売ら「なければならない」はずだし、

売れるように、女の子たちを

多忙なスケジュールの中で

たくさん活動させなければならない。

この場合、運営とパフォーマーが分離しているから、

アイドルとしての活動そのものと、

「売れるかどうか」という問題は、

必ずしも当事者の心の中ではリンクしていない。

(売れなくても自分の存在そのものには影響がない)

理想は、自分たちの自治において、

自分たちが心身ともに、

他人に無理させられる事なく、

楽しんで発揮された

(僕はそれを「最高の」とする)

自分たちのパフォーマンスが、

売り上げその他結果として現れたとき、

それを、自分たちの結果として受け止め、

それがたとえ望ましくない結果だったとしても

当事者意識に基づく

「もっとこうしたい」「悔しい」

といった気持ちが元になって、

ステップアップしていくこと。

そうして発展した活動は、持続性がある、

そんな風に僕は思っている。

だけれども、組織の存続そのものが

目的になっている場合、

「売れない」ということはあるまじき事態なわけで、

そこには「このまま続けるべきか」などという問いを

挟ませている暇はない。

現場と「ブレイン」が離れている場合は、

そもそも

望ましくない結果を、

自分のこととして引き受けさせてもらうこと

すらできない。

そして、ひたすらに働く事を強いられる。

反対に、自分の裁量があって、

完全に自分事だと思っていれば、

望ましくない結果を引き受けることすら、

一つのエキサイトメントになる。


ここまでいろいろ書き連ねてきたが、

欅坂46は応援しているし、

欅坂46が、本当にここに書いたことに

当てはまるかどうかは、分からない。

欅坂46のMVからこんな邪推をしたことを

許していただきたい。