他人を「怒る」こと のはなし

そのとき僕が少年を実際に「怒った」のは、 彼に他人の気持ちのわかる男になって欲しいから というのでは一切なく、ただ一点、 水鉄砲で攻められつづけたことで 僕が不愉快だと思ったからだ。

そう思えば、あとは自分の気持ちを 真面目な顔をして、 ちょっとシリアスに伝えるだけだ。 なんだかスッと入ってきた。


僕たちは他人を怒るとき、

「社会に出てから…」とか 「あなたのため」とか 「今後のためになる」とか

そんな文句を持ち出したくなる。

なぜかって、そこに理屈なんてないような ほんとうは自分が気に入らないだけのことに

「どうして?」と尋ねられるのがこわいからだ。

できれば、一発でやめさせたい、 それがだめなら、せめて「なぜなぜ五回」くらいには 耐えられるような理屈を用意しなければならない。

それで、逆に論破されてしまったら、 「自分の主張は一体なんだったのだろうか」 と思うのだろうか。

そう思うと、自分の不愉快な思いを 表明するハードルがどんどん高くなる。

めちゃくちゃ、こわいのである。

ただ、不愉快なものは、不愉快であって、 それ以上でも、それ以下でもない。

「それは、いやだ」「それはやめてほしい」と 伝える以上でも、以下でもない。

かつて電車に乗っていたとき、 乗り合わせた女子高校生に対して

「リュックを背負うのをヤメロ」と

なかなかの剣幕で叫んだオバさんがいたが、 それは何かが彼女を不快にさせたからであって、 「みんなの正しさ」を持ち出してこなかった点で、

「そんな、いいじゃないか」と当時は思ったが、

いま改めて思うと、それくらいが ある種「フェアな」怒りだったのかもしれない。


ただ… 冒頭の少年に対して僕は、 20歳という歳の差を、 なんとなくわかっていながら それをちょっぴり利用してしまったよ。 ゴメンな!

またあそびに来てくれよ!