僕は「自分の時間が欲しかったから」会社を辞めた

プロローグにかえて ―僕が会社を辞めてまで欲した「自分の時間」―

8月に入ってから、僕は会社を辞める前に 各部署の人にその旨あいさつをしてきた。

その中で繰り返し語られたのが 「自分の時間がもっと欲しいと思ったから」 というフレーズだ。

8時半には出勤していたけれども、 昼休み以外に休憩時間も午前・午後にあったし、 ほぼ毎日5時には退社していた。 そんな日々を送っていたのに、「自分の時間とな!?」 と思われるかもしれない。

ただ間違いないのは、 僕はその「自分の時間」とやらを増やして、 「自分のバリュー」を出し、 「自分の居場所」が欲しかったのだ。

(ちなみに、 「バリューを出す」とは、コンサルティング大手の MッキンゼーとかAクセンチュアなどで呪文のように 唱えられる言葉らしいが、ここでは簡単に 「(付加)価値を出すこと」として進めよう。)


そもそも、「自分の時間」とは

僕の主張する「自分の時間」とは、 端的に言えば「会社に切り売りしていない時間」のことである。

だから、「睡眠時間を削れば捻出できるもの」とか 「時間の使い方を工夫してつくるもの」とか、 そういうものとは全く違うのである。

それに、完全成果主義・完全歩合制でないかぎり、 その単価に違いはあれども、勤めている以上は 「拘束時間に対して」給料が支払われている。

正社員が「安定している」というのは、 拘束時間を毎日、決まった時間、安定的に 切り売りしているから。当然だよね。

話を戻そう。

「会社に切り売りしている時間」と「売っていない時間」 では、考え方が全く異なる。

この違いを「売ってる時間」「自分の時間」 という言葉を用いながら説明しよう。

●「売ってる時間」

「売ってる時間」では、

バリューを「社益になるように」かつ、「出さなければならない」

という前提がある。

「給料をもらってその場にいる以上、 何かしらの価値を出さなければならない」

これは大変なプレッシャーである。

・「売ってる時間」のプレッシャー下でも続く人

ちなみに、このプレッシャーの下でも 長く続くのは大きく分けて2タイプ。

だいたいのケースでは、1と2のハイブリッド型でしょうね。

1.「社益になるような」バリューの出しかたを知っている人

「組織の中でバリューを出している」という貢献感があれば、 組織内において「あ、自分はここにいてもいいんだな」という 「居場所(のようなもの)」ができるから、 長く居続けることができる。

(こういう人を生み出すのがウマい組織は、 任せ方・インセンティブなど、 バリューの「出させ方」を知っている。

ただ、マクロ的視点から 「社益になっても、自分の利益にならない」 という現実を見せないようにする必要がある。)

2.自分がバリューを出していない時間を平気で過ごせる人

拘束時間を売っているということは、 裏を返せば拘束されている時間、 何もしなければしないほど得をする、ということ。 そういう時間を、適当にやり過ごすことができる人。

●「自分の時間」

それに対して「自分の時間」では、

バリューを「自分の好きな方法で」「出すことができる」

という考えだ。

出せば出すほど、自分に返ってくるし、 出さなければ出さなくてもいいけど、 何も自分に返ってこない。

これはそのままバリューを出す動機づけに直結する。


その「自分の時間」で

自分の好きなように「自分のバリュー」を出したい。

なぜ僕がそこまで「自分のバリュー」を出すことにこだわるのか と言われれば、それは、社益の範囲とは関係なく とにかく他者貢献をしたいからだ。

そして、他者貢献による自己肯定感が欲しい。

いや、「貢献した」という事実すら必要ない。 僕が必要なのは、貢献した“感”で十分なのだ。

だから、僕の言う「他者貢献」は、 「承認欲求」とつながっているようでつながっていない。 そもそも、他者の承認は必要ないから。

●キーワードは「居場所」

上で述べたように、 「バリューを出している」と言うことによる 他者貢献感は、その社会において 「あ、自分はここにいてもいいんだな」という感覚 すなわち「居場所」につながる。

僕は、それを会社組織の中に求めるのではなく、 誰かは限定しない、身近な個々人に求めたい。

すなわち、会社組織の中に居場所を作るのではなく、 あらゆる人の中に、自分の居場所を作りたい。

そんな気持ちで、誰かの心に届きますように、 と思いながらブログをシコシコ書いているし、

一人占めしておくにはもったいない(?) 諏訪の観光資源をみんなとシェアしたい。

誰かに美味しいカレーを作りたい。

ちょっと気持ちの良い音楽を奏でたい。

懐かしいなぁなんて思ってもらえる歌も歌ってみたい。

そんなことをたくさんしたいと思ったら、 正社員として勤めているうちは、 いくら5時に帰宅しようとも、 さっぱり時間が足りないのだ。


終わりに

僕は、とにかく「自分の時間」が欲しかった。

僕は、「売っていない」時間で 拙くてもいいから、とにかく「自分のバリューを」出したい。

そして、それがどんなに狭くとも あらゆる人の中で、自分の「居場所」につながれば、 僕はいくら貧乏生活をしようとも「豊か」だ。

いつまでこのニート生活が続けられるかは 貯金と相談だけれども、 その「豊かさ」を持ち続けるためには Earn less, pay less. 切り売りする時間を最小限に、使うおカネも最小限に。

ただ、正社員として安定した給料をもらう生活よりも 間違いなく「生きている」という実感がある。