仕事レス社会における役割の喪失問題について

  世代交代が起こらない、仕事のための仕事をする、やらなくていい仕事で「くそ仕事」を生み出す、その他やってるフリにこだわる、自他に暇を許せない…そんなこと・人に嘆きつつも、時々「自分は現役世代だからほぼ無条件に『社会における役割があって/与えられて然るべきだ』という風潮にサポートされているに過ぎない」ということを思い出しては暗澹とした気持ちになることがある。寿命が伸びてもお金がなかったり、長い長い「老後」に生きがいが必要だったり、その他様々な理由で高齢者も働かなくてはならない「老後レス時代」において、社会における役割がなくなることは死活問題だ。自分はいわゆる「現役世代」であるという事実にサポートされているものの、我々は今している仕事を「しなくて済むように」働き、効率化を図っている。それに技術の発達も伴って、従来の仕事はどんどんなくなっていく。従来の仕事がなくなることで人間の手が掛からなくなることに起因する諸問題を僕は「役割の喪失問題」と勝手に名付けた。

  「役割の喪失問題」にはどのようなものが含まれているか。まずは自分の生に対する「誇り」が失われること。例えばかつては手作業でやってきた酒造りも、機械化が進んだことでそこに職人の経験とか勘がなくとも安定した質のお酒が作れるようになった。かつては手作業でやっていた事務作業、例えばデータのExcelへの手入力とか伝票の切り貼りとか宛名書きとか、「そこに人の精神があらわれる」と丁寧に誇りを持ってやってきたことも、だいたいもう20年以上前からPCでできることになった。今やむしろ人の手でやって方が非効率になることも増えてきた。

  もう一つは生活の糧が得られなくなること。仕事としての役割がなくなれば、「労働の対価としての賃金」という認識のもとでは労働者はお金を得られる理由がなくなってしまう。仕事がないのだから、残業する理由もない。賃金ベースが上がらなければ、残業代がなくなったことでほとんどの労働者は収入減に直結する(それを防ぐためには「労働の対価としての賃金」という考えを薄め、仕事の削減と同時に賃上げを行わなければならない)。

  残念ながら従来の仕事がなくなっていくことは避けられないと僕は思う。そのなかで一労働者としてできることがパッと浮かぶだけで3つある。⑴「やりがい」や「誇り」はもはや仕事だけに求められないので、仕事以外にやりがいや誇りを見出せるものを見つけること(そこで作り上げたものからは疎外されない)⑵新しい、名もなき仕事(「名もなき家事」のような、細かい作業の集合体)がもはやシステムの産物であり、それが立派な人間の仕事であると認識を改めること、そこに自分のやりがいを見出すこと。そして一番大事なのが⑶きちんと賃上げが政治に反映されるような投票をすること。