善意がこわい

   「一日に30分だけ!」という宣伝文句が付くものはたくさんある。ストレッチ・ヨガ・ウォーキング・読書・英語・筋トレ…どれも「やるに越したことはない」ことで、耐えず上昇することを迫られている人々の「やったほうがいいと思ってるんだけどね…」という思いと「できていない自分」へのコンプレックスを駆り立てるようなものだ。それらを一日に30分ずつ行うと、少なくとも3時間は必要だ。積極的な「やる理由」があるならまだしも、「やらない理由がないから」と色々詰め込んでしまっては、1日の時間はほとんどそのようなルーティンによって回収されてしまう。もちろん、これは例えばの話であり、この程度なら可愛いものだ。

 「しないこと」には、リソースの有限性以外に理由がない。

その有限性さえ、数値で示すことができればよいのだが、心理的コスト・体力的コストはそれが不可能だ。

   善意がこわい。善意で仕事をする人がこわい。善意のボランティアも、ときどきこわい。善意は基本的に間違いじゃないからだ。間違っていないこと・やるに越したことはないこと・やらない理由がないことに対して、管理に回る人間は人的・金銭的・時間的リソースが有限であることを絶えず認識しながら、際限なくに発生しうる「やるに越したことはない」正論と対峙し、ときにその「善意の実行」を止めたり、優先順位をつけたりする必要がある。その優先順位の付け方は、必ずしも個人のそれとは一致しない。