カンユウ文句

   相手のリテラシーを超えて、自分のお勧めしたいものを強く提案する、という点で僕にとっての「格安SIM」と、彼女にとってのその宗教は大した違いがないのかもしれない。

   僕が他人に強烈にお勧めしたいものがあるとすれば、それは格安SIMだ。「それは詳しい人じゃないとわからないんでしょ」と渋る(しかも動画を見まくることのない)中高年にこそ「あの、〇〇モバイルってところに行ってみて。今使っている(D・A・S)社から乗り換えたいと伝えればいいプランを紹介してもらえて、まずゼッタイに安くなるから!」と言って勧誘したくなるかもしれない。その場合、おそらく自分の気持ちは相手の経済的助けになる提案がしたいと思う善意でいっぱいだ。もし仮に自分が「〇〇モバイル」の社員で契約ノルマを背負っている立場なら、その勧誘は一層鬼気迫るものになることは想像に難くない。それを聞く人は、眉に唾をつけながら聞くのだろう。

   昨日知り合いから新興宗教の勧誘を受けた。主な勧誘文句は「これまで名医でも治すことのできなかった難病が治った例がある」「自分自身の長年に渡る原因不明の体調不良が改善された」「正しい教えに則ってきちんと勤行をすれば、必ず成仏できる」「知らないと損」「成仏できないことが、どんなに苦しいことか」「まず、あそこにある〇〇という場所に行って、正しい教えに触れて欲しい」というようなものだった。僕は終始眉に唾を付けては重ね、を繰り返しながら、恐ろしいほど純然たる善意に満ちた眼差しの彼女から “有難い” 話を聞かせてもらった。「なるほど、それが貴女のパワーの源だったのですね」と納得し、最終的には「しかし僕は『やらない理由がない』からやるのではなく、自分の中に確たる『やる理由』が欲しいから」ということで、その話の流れで施設に行く提案は断った。「もしも『やる理由』ができたその時が来たら、ぜひ相談させて欲しい」と、一応、加えた。