ドラマ『カルテット』「唐揚げレモン論争」にみる 「ハピネス」と「フェアネス」のはなし
この図をご覧いただきたい。
さっぱり、なんのことか分からないだろう。笑
続いて、こちらのリンクに飛んで
http://motcho2.hateblo.jp/entry/quartet-1
ドラマ『カルテット』の第1話のワンシーンを
文字で追っていただきたい。
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カルテットの4人が食卓につき、揚げたての唐揚げを食べるシーン。
「レモンかけますか」と皆に確認することなく、レモンを全体にかける。
それに高橋一生演じる家森諭高が異を唱える。
レモンをかけた2人は
「次からは気をつけますから、レモンぐらいで(怒らないで)」と家森をなだめる。
そこに松たか子演じる巻真紀が
「レモンぐらいで、ってことはないでしょう」と2人を止める。
「なぜ、レモンかけますか、の一言がなかったんでしょう?」
そこに重ねて家森が
「レモンかけるかどうか聞くときには、2つの流派があって」と話し始める。
家:レモンするかどうか聞くっていう文化にはさ、
す:文化…
家:二つの流派があって、
別:…流派。
家:わかりますよね?
巻:わかります。
家:きみたちレモンかけるとき、聞くとしてなんて聞く?
別:…「レモンかけますか?」
家:「あ、はい」
家:…………こうなるでしょ。
家:「レモンかけますか?」「あ、はい」
家:かけるの当たり前みたいな空気生まれて、全然大丈夫じゃないのに
「あ、大丈夫す」ってなるでしょ? これ脅迫ですよ? こっち防戦一方です
別:…どう言えばいいんですか
巻:…レモン、ありますね。
家:…レモン、ありますよ。
家:こう言うの。
「めんどくセー」と思っただろう。
もう一度この図をご覧いただきたい。
「発せられたことばがあったとしても、
その裏にはたくさんの考えや気持ちがゴチャ混ぜになっていて
そのことばはそのうちの一部分しか言い表すことができない」
というのが僕の持論だ。
「レモンかけますか?」の問いに対して「あ、はい」と答えたとき、
レモンをかけるかどうか尋ねた目の前の相手と
自分の心とのインターフェースはあくまで「あ、はい」という言葉である。
その時「あ、はい」は自分の気持ちを全て表していない、どころか、
ほとんど表現することができない。
「あ、はい」という言葉の裏には、パッと拾っただけでも
●「かけた方が美味しい」と思う人がいること
●レモンかけたらカリカリ度が減るよな…
●唐揚げは洗えない➡︎不可逆
●レモンがダメってわけじゃない
●角を立てたくない➡︎学級会のトラウマ
●あたたかいうちに食べたい
という思いや考えが潜んでいる。
その総合が「あ、はい」という言葉になってポロっと出てきてしまった。
結果、レモンがかけられていく様子を目の前で眺めながら、
自分が望んだサクサクカリカリの唐揚げとサヨナラする絶望に打ちひしがれる
ということが起こる。
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「言葉に出した」という事実による【公平性】を追求する【フェアネス志向】
を足場にしたならば、たしかに家森は「あ、はい」と言ったのだから、
文句は言うな、というのがただしい
(【フェアネス】が「強者の論理」になってしまっていることを
わかっているからこそ、自分の思いたちがちっぽけに感じられて
「あ、はい」と言ってしまったのだろう)。
「言葉だけからでは見出せない考えや思いが存在する可能性がある」と
想定して、それを尊重し(言葉の土俵にはのぼらないが)【その場の幸福度】を
最大限に高めることを、言語外コミュニケーションからも追求する【ハピネス志向】
を足場にしたならば、
言葉にならない部分の相手の考えは自分が想像するほかないが、
せめて「レモン、ありますね」と言葉を“置いておく”ことがただしい。
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【ハピネス志向】で物事を考えたとき、
「言われてもいないことを、先回りして」
「悲劇を、未然に防ぐ」というのだから、
往々にしてサービス精神過剰になる。
僕はどちらかというと「フェアネス」を求めるために
言葉を貯めてきたような節がある。
ただ、
「それでも追求したい幸福(たとえ、余計なお世話であっても
他者の満足する姿を見たい)がある」
という姿勢として、【ハピネス志向】タイプがたしかに存在することを、
このシーンから改めて考えさせられたように思う。
そして、【ハピネス】モードはたしかに自分にも訪れる。
問題は時間的・金銭的・精神的リソースが限られているなかで、
効果的な【ハピネス志向】の取り出し方を、
自分の過ごす環境を【今】から【未来】にわたり俯瞰して
あらかじめ想定される追求すべき他のハピネスとの比較の中で
優先順位をつけ、考えていかねばならないことだ。
それは、情緒で働く(状態の)人の生きがいにつながっている大問題だからだ。