2020-01-01から1年間の記事一覧

今後、集まることの本質が問われるようになると起こること

先日、上司に送ったメールの終わりに「今後は良きにつけ悪しきにつけ、集まることの本質(あるいは目的)が厳しく問われるようになる」ということを書いた。自分で書いた言葉なのに、帰り道にその言葉がじわじわと効いてくる感じがした。 まず、「本当に集ま…

誰でも取り残されうる

便利なオンラインサービスを使おう、と提案すると「じゃあ、それを使えない高齢者はどうなるんだ!(だから、それを使うのをやめろ)」となる。ただ、もしもそのオンラインサービスの普及率が8割9割くらいにまで達している場合、ましてそこに投入できるリソ…

世間に「傷ついた」人々のケアについて

承前 既に傷ついた人々 自分のしたことについて、《上司》《家族》《客》に頭ごなしに否定・却下され、非常に嫌な思いをした。かつその際に対抗原理(「あくまでも自分の主張は正しい」「相手の方が間違っている」と言えるだけのロジック)を持っていなかっ…

「世間」出身者もケアされないと先に進めない

「世間」はある種の宗教のようなものであり、生きていくための振る舞い方(のうちの一つ)を示してくれるものだと僕は思っている。ある特定の社会を超越するものとしての「世間」のルール(※1)にハマっている限り、突然知らない人の社会に放り込まれても、…

問題の当事者は誰だろうか

自分は問題だと思っていないことを指摘され、問題の当事者に「される」とき、そこには当事者性がなくなり、結局、自分の感覚を頼りにしなくなるということを指摘したい。 先日近くの湖でボート(競技用)を漕いだ。僕には大学で4年間やってきたにも関わらず…

「順番にどうぞ」問題

突然だが僕は会議などで「順番にどうぞ」というスタイルで順繰りに喋っていくというやり方がくそ程に苦手であり、嫌いだ。僕はそのような会議のあり方がむしろ人々をコミュニケーションから遠ざける要因にもなってしまうことを指摘したい。 普段のコミュニケ…

高級食パンが面白いと思ったはなし

先日行ったイオンモール内にあった某高級食パン店でパンを買った。 ①まず、常駐している店員が存在しない。ベルを押すと隣接している唐揚げ店から店員がやってきて、会計対応をしてくれた。 ②当然だが、この手の高級食パンには一切のバリエーションが存在し…

ブルシット・ジョブは日本固有のものではない?

いま話題の本『ブルシット・ジョブ』を半分くらいまで読み進めた。まず驚いたのは、ブルシット・ジョブが日本に固有のものではないことだ。この本を読むまで僕はてっきり、いわゆるブルシット・ジョブ的な仕事は終身雇用と年功序列に代表される「日本型雇用…

資本主義社会下では、簡単に「世間の住人」になってもいけない

『なぜ日本人は世間と寝たがるのか』という本を読んだ。この本を手に取った理由の一つは身近な人が根っからの「世間の住人」であることだ。「自分はこうしたい」という意見を持たず、「世間では」とか「周りが」とか「〇〇という人もいる」という理由でこと…

災害ユートピアの一片を見た

昨晩、帰宅途中に交通事故現場に立ち会った。僕は本来ならば事故を目撃したであろうタイミングでその交差点にいたのだが、音楽を聴きながらスマホを見ていたせいで全く気がつかなかった。同じく居合わせて事故の瞬間を目撃したおじさんに「(交差点で立ち往…

「そんなことで」と言い続けられる人だけが、「幸福な不自由」のなかに生きられる

「ルールは破るためにある」などと豪語しつつ過ごしたことはなかったが、「ルール」というものがあくまでも“マス”の自律性を否定し、自由を制限するためのものであり、ときにそれが責任を逃れるために設定されるものであることを考えると、自由を得るために…

希望と絶望のボランティアワーク

「ボランティア」を勘違いしていないだろうか 災害が発生したとき、「ボランティアが不足している」という報道があった。それに対して、「『ボランティアが不足』ってナンだよ」という声がTwitterで散見された。本来、「ボランティア」は文字通りボランタリ…

「きめ細やかにお仕事をされていたことを感じました」

最近見ているドラマに『義母と娘のブルース』というものがある。その3話では、小学校のPTAの全面廃止を求めて闘う亜希子(綾瀬はるか)の姿が描かれている。これが誠に痛快だ。 事の発端は、亜希子が運動会におけるPTAのやり方の妥当性を、初参加のPTA会議で…

「手加減の役割」にある不誠実さ

「仕事は無駄でも良いのかもしれない」という理屈を、とりあえず導いた。 しかし、「手加減の役割」を、「なにか役割がないと居づらいだろうから」もしくは「頼られるときっと嬉しいだろうから」などと勝手に慮り、“あてがう” という策をどうしても積極的に…

社会は布マスクを受け入れた

「アベノマスク」配布が決まった当初、WHOは布マスクについて、「いかなる場合も勧めない」としていた。 さらに「アベノマスク」配布が決まった背景には官邸官僚が「布マスクを配れば国民の不安はパッと消えますよ」という進言をしていたことがあるのだそう…

老いてなお

「老いることができない」とか「『若者』から降りることができない」というフレーズを目にして以降、人付き合いのなかでそのようなことが頭を過ぎることが度々ある。 【関連記事】 「若者でいなければならない」。それはあえてネガティブに言うならば「常に…

とりあえず、無駄でもよくね

今となっては「あれは無駄だった」と思うことは、僕にとっては「(パッケージとしての)就活」だろうか。今後も「やっとけばいつか役に立つから」という内外からやってくる詭弁によって、ひたすら「やる」こと(「いる」ことではなく)で埋め尽くされること…

カンユウ文句

相手のリテラシーを超えて、自分のお勧めしたいものを強く提案する、という点で僕にとっての「格安SIM」と、彼女にとってのその宗教は大した違いがないのかもしれない。 僕が他人に強烈にお勧めしたいものがあるとすれば、それは格安SIMだ。「それは詳しい人…

「陰謀論おじさん」が「エラく」ない

先日ある人から「新型コロナウイルスは陰謀だ」という感じの話を聞いた。「《みんな》は本当のことから目を逸らされて騙されている。けれどもおれは本当のことを知っている」みたいな話だったので眉に唾を付けながら聞いていた(もちろん、その話の中にも発…

善意と反緊縮

緊縮財政に対抗するのは、現場の「善意」なのだろうか?という疑問から始めたい。 僕はいわゆる「ゆとり世代」かつ「デジタルネイティブ世代」だということもあり、どちらかというと「働き方改革」側に立っている。デジタルツールを使うことによって省ける手…

そんなことなら、神頼み

7月4日現在、僕の住んでいる岩手県では新型コロナウイルスの感染者が確認されていない。なんと、それにも関わらず接触感染アプリ「COCOA」のインストール率は全国トップなんだそうだ。 感染者がいないのが本当なら、それ自体は良いことだ。しかし僕は「感染…

いい人の価値が下がる

「いい人をやめれば」的な本を見るたびに、「またまた…」と思っていたのが、「いい人(≒他人にとって都合のいい人)」でいることは確かに自分の価値を下げることにつながると考え始めた。自分の譲れない条件を死守することが、かえって自分の価値を上げるか…

善意がこわい

「一日に30分だけ!」という宣伝文句が付くものはたくさんある。ストレッチ・ヨガ・ウォーキング・読書・英語・筋トレ…どれも「やるに越したことはない」ことで、耐えず上昇することを迫られている人々の「やったほうがいいと思ってるんだけどね…」という思…

弱者のステレオタイプ

少し前の選挙の結果を見て、「あの身体障害者に何ができる!」と声を荒げていたジイさんがいた。僕は「どうか、そのような差別発言は辞めてほしい」と伝えた。そのうえで、「どうしてそのような差別心が芽生えたのか?」と尋ねると「定年退職後、警備員の仕…

がむしゃらさは 生活を守るもの なのかもしれない

ここ数年の僕にとって、がむしゃらな(実効性の薄い、ガンバっている風に見える)労働スタイルは「生活を壊すもの」だと考えてきた。それを生むようなムラ社会的考え方や・前時代的な勤労イデオロギーを心の中で非難し戦ってきたつもりでいる。しかし、最近…

「役に立つ」を疑う

本当は新型コロナウイルスの感染拡大そのものが災いだったはずなのに、いつの間にか変化していたステージの上で、「社会的に役に立つ人間」「役に立たない人間」がふるいにかけられようとしているー自分が「役に立つ人間」の側でいるためなら、他人を平気で…

やることがなくて怒るひと・植松死刑囚の主張・コロナ禍は繋がっている

「やることがなくて怒るボランティア(もしくは「気付き」によってなんでも「役に立つ」ができるボランタリーなワーカー)」「やることがなくて怒る」悲哀は他人事だろうか - GoKa.と「やまゆり園事件」における植松死刑囚の主張「社会的に役に立たない人間…

ムダの役割と余裕のない社会

ボランティアワークにおける、承認を得ることを目的とした仕事は無駄でも良いのかもしれない、ということを先日の記事で述べた。 ただ、仕事におけるムダはたとえそれが人々を食わせるためだとはいえ、(「より多くのムダな仕事によって多くの人が職にありつ…

余裕のある社会とはどんなものだったのだろうか

相模原事件「植松被告の論理」を、私たちは完全否定できるか(御田寺 圭) | 現代ビジネス | 講談社(3/4) この記事に触発されるように、先日の記事でやまゆり園事件について触れた。 「やることがなくて怒る」悲哀は他人事だろうか - GoKa. 植松死刑囚は一…

前提A:自分の労働の対価としての報酬を得る

「自分の労働の対価として報酬を得る」という前提を僕は勝手に「前提A」と名付けた。この前提Aは、極めてフェアである一方で、今後書いていく記事でも述べるが、社会の余裕を生み出す上でのネックにもなり得る。会社側にとって労働者を使役する都合の良い言…