自分にとってのジャムおじさんは誰か

 「人を助けるために頑張ること」が「自分の何かを差し出すこと」と近づいてしまっているとき、「アンパンマン」を思い出したい。

アンパンマンは弱っている人に自分の「顔」をちぎって差し出すことができる。しかし顔が欠けている状態では十分に力を発揮することができない。でも、ジャムおじさんが駆けつけて新しい顔を投げてくれることで「元気100倍!」になることができる。

 『居るのはつらいよ』という本の中で知ったのだが、ケアする人をケアするもののことを「ドゥーリア」というそうだ。アンパンマンのドゥーリアの一人は間違いなくジャムおじさんだ。アンパンマンにはジャムおじさんをはじめとする「ドゥーリア」があってこそ人々を助けることができるのだ。

 「人を助けるために頑張る」「自分の何かを差し出す」ということは、十分な「ドゥーリア」なくしては成立しない。ひいては、何かを差し出さなければならないケアに関わる人々こそ、「ドゥーリア」によってケアされることが必要だ。「自分にとってのジャムおじさんは誰(何)か?」という問いに答えられてはじめて、自己犠牲に頼らない良いケア活動ができるのではないだろうか。