「社会的成功」と「自分的成功」に分けてみよう

「それで成功できる人なんて、 ほんの一握りなのよ!?」

何か新しいこと、思いきったことにチャレンジするとき、

「それで成功するかわからないでしょ!? しかも、それで成功できる人なんてほんの一握りなのよ!?」

という類のありがたい(?)言葉をいただくことが、 世の中に往々にしてあることだと思う。

しかしひるむことはない。

しかし、「自分はこうしたいから、こうする」 という結論を自分で出して、 それを実行する時点で既に「成功」しているのだ。

さらに言えば、その「成功」を続けている限り、 「成功」しなくとも「成功」なのだ

こんがらがってきましたね!

その概念を「社会的成功」「自分的成功」という 二つのワードを持ちだして簡単に説明しよう、 というのが今日のテーマです。


●「社会的成功」

こっちは一般的に言われる成功のことで、

お金持ちになれるとか、有名になれるとか、

会社で良いポジションに就けるとか、とか

キレイなお嫁さんをもらうとか、子宝に恵まれる、とか、

安定した収入があるとか、

そういう類の成功で、 一般的に羨望の対象となる可能性が大き(そう)な成功。

成功の度合いは競争意識と深く関わっている。

(この記事でこの「成功」を排斥するつもりはありません。 あしからず!)


●「自分的成功」

こっちはちょっと抽象的。

「社会的成功」に重なることもあるけれども、

自分で考えて「自分はこうしたいから、こうする」 という結論を出して、それを実際にやれること

それが、「自分的成功」。


●終わりに

冒頭の話に戻ろう。

何かにチャレンジするとき、 確かに「社会的成功」へのレールからは外れるかもしれない。

しかし、たとえ最終的に「社会的成功」が得られなくとも、 「自分的成功」を選び続けている限り、

「あなたの人生においては」成功なのだ。

逆に言えば、「社会的成功」のレールから外れてでも、 「違う何かをやってみたい」という衝動があったとき、

それを誰かの「ありがたい助言」を腑に落ちぬまま 鵜呑みにして実行しなかったとしたら、 自分的にはそれは立派な「失敗」だ。

心が、身体が「それはやりたくない!」と言っているのに、 誰かの「ありがたい」助言を腑に落ちぬまま優先して、 やってしまう、または辞められないとしたら、 自分的にはそれも立派な「失敗」だ。


●蛇足な補足

さらに言えば、他人が何と言おうと 最終的には自分で吟味し、自分考えるべきだ、と 僕は主張するし、

誰かに支援・指導を与える立場の人は、 自分で考えて、実行するというチャンスを 被支援者・被指導者から奪ってはならない。