ブラック企業は、みんなの心の中にある

ブラック企業」については、

その特徴だとか、現状だとか、そんなことは

枚挙にいとまがないし、わざわざここで記さなくとも、

たくさんのまとめがウェブ上に転がっている。

ただ、なんとなく思ったのは

「ブラック体質」とか「ブラック企業」というのは、

その組織がいいとか悪いとかの問題ではないように思う。

そのタネは、きっと「善良な」みんなの心のなかに、

あくまでも「善」として存在する。

ブラック体質のもとをたどれば、おそらく

「仕事に忙殺される」というところに行き着く。

(文字通り「殺される」ケースがますます話題になっている)

そこに見えるのは

行きすぎた「貢献」

行きすぎた「もっと役に立たなきゃ」

行きすぎた「休めば迷惑」

行きすぎた「時間厳守」

行きすぎた「指示厳守」

などなど・・・。

これらの特徴、なんだかすごい「プロ意識」のよう。

なるほどこれらの考えがスタンダード化していれば、

そのレスポンスの良さから信頼されるのか。(?)


でも、そもそもキャパシティはどれだけあるの?

という話。

ただ残念ながら、

「キャパシティを超えて、

ストレッチした目標を設定することで成長する」的な説が

一般的だから、

「キャパシティの中で収めましょう」

なんて言うのは基本的に、認められないのだ。

「キャパシティの中で、なんて言っていたら仕事にならない」と。

ただ、僕が思うには

キャパシティというのは続けてさえいれば

勝手に大きくなっていくものだ。

必要なのは、ストレッチした目標を設定して

それを達成させることではなく、ただ、長い間やることだ。

そのうちに自分でわかったことは、間違いなく

個のレベルアップに、たとえ気づかないレベルであっても、

繋がっているはずだ。

そもそも、

できなかったことが

無理して急にできるようになることもないし

これまで通りできていたことが、

急にできなくなることもない。

何かのきっかけに、できることが少しずつ増えていく。

「一に成長二に成長、三四がなくて、五に成長。」

みたいな雰囲気の中では、むしろ萎縮しそう。

その萎縮するorさせる考えが、

ブラック体質のタネ。

もしも、そういう「もっと、もっと」という

強迫観念ともとられる考えにとりつかれている人に

「お前も、もっと、もっとやれ!」

と言われるようなら、せめて、

その場から、スッと立ち去ろう。

彼らは、間違いなく被害者だ。

ただ僕たちにできることは「あぁ、かわいそうに」

と思うくらいで、間違っても無理をして

彼らの相手をすることで磨耗し、

同じように磨耗することを、新しい人に

強要する雰囲気をつくってはいけない。


僕は以前父から

「ある営業マンは約束の時刻に1分遅れたことで、

商談に取り合ってももらえなかった」

みたいなことを聞いたことがあったけれども、

ちょっとの遅刻を理由に商談を拒むような社長は

まずイタリア人とは仕事ができないだろうと思った。

なぜなら、イタリア人は定刻に「行かない」ことが

ある種の礼儀だとも思っているらしいからだ。

さぁ、悲しいかな。どちらも「常識」なのだ。