「この世界は群れていても始まらない」

「この世界は群れていても始まらない」

とは、アイドルグループ「欅坂46」のデビュー曲

サイレントマジョリティー」の歌詞の一節だ。

人間関係における面倒の一端は、

「群れるからこそ」のものなのではないか?という

疑問がふと頭をよぎった。


「群れ」において、

男は縦社会を生きてい、順位をつけたがる。

女は横社会を生きていで、横並びであることを是とする。

そういうのは、きっと

どちらもおそらく本能に基づいた性質なのだ。

ただ残念ながら、それがしばしば人間関係のもつれを起こしたり、

組織においてはハラスメントになったりする。

当然、それは「群れ」があるから起こるのであれば

自分を守りたければ、個をもっと大事にしようと思えば、

当たり前のことだけれども、

極力群れなければいいんじゃないか。


群れのなかにいなければ、

自分を比べる対象もいないから、

他人との比較のなかに自分をおく必要がないどころか、

おくことが「できない」。

自分を評価するひともいないから、

自分で自分を評価しなければならない。

そんな状況で「自分はダメだ」と評価することは、

自分の不利益にそのまま直結する。

つまり、群れから外れては、

無条件的に「自分は、大丈夫」と信じる

(=自信を持つ)より他ない。


群れをつくって全体として生き延びる というのは、動物的にはよくある作戦だ。

ただ、インフラが便利になったことで、

常に群れを作らなければ生きていけない状態ではなくなった。

それは、群れていることがやりづらくなることと

表裏一体のように思う。

だから、群れるなら、できるだけ少ない人数で。

人との関わりをなくせ!というのではなく、

もしも、個を大事にしようと思えば、

無駄に不愉快な思いをしないためには、

関わりも、できるだけドライに。

そして、自分の世界で自分を評価し、自信を持つ。