孤独を求める

「孤独」であることは

何かの手段であり、それ自体が目的なのかもしれない。


卒業したコミュニティの友達とは、

例えどんなに仲がよくとも、

基本的につるまない。

つるまない「ようにしている」

というよりは、気づけばそれを求めている。

思い返せば、そんなのは

小学校を卒業して以来だ(!)。

大学の選択も、

自分が得意な科目の英語が・・・

というのもあったけれども、

同じ文系から他にいく人がいなかった、

というのは

自分にとって大きなモチベーションだった。

おまけに、入学して知り合った友人に

「同じ高校から来てる同期が誰もいない」

ということの自分のメリットを説いていた

ような気もする。

就職を期に、これまた

友人のいる首都圏を離れて

いま住んでいる諏訪市に行くことが決まったとき、

いや、就職の面接に臨んでいるとき、

同じような理由でわくわくしたのを覚えている。

変化を楽しむには、

かつての友人という自分の中の「世間」というのを

シャットアウトしたいのかもしれないし、

ひとつわかるのは、「世間」のある環境で

それを全く気にしないことができるほど

まだ強くはない、ということだ。


「孤独を求める」というのは、

そういう状況を作るための手段であり、

かといって何かをしたい、というわけでもなく

ただ、その状況が心地よい、という点では

「孤独であること」はそれ自体が

ひとつの目的なのかもしれない。