今はもう、その教育はきっと時代錯誤なんだ

「時代錯誤な支配的教育と保身のための欺瞞」

巨人の阿部慎之介選手と小林誠司捕手との間にあった

「雪」とはそれが積もったものなのでは?

と思ってしまった。


ネットニュースでこんな記事を見つけた。

巨人・阿部ついに小林と“雪解け”

この記事によると、それぞれの言い分はこうだ。

阿部選手は

「僕が捕手をできない分、彼が良くなればチームは勝てる」

「(自分のところに)聞きにくれば

何か変わるかもしれないのに、小林は聞きに来ない」

と言っているのに対して、

小林選手は

「僕は阿部さんと違うタイプ。違った色を出して頑張りたい。

(だから、阿部さんに話を聞く、ということをしていない)」

と言っていたようだ。

それが、小林選手が「師匠替え」をして

阿部選手にアドバイスを求めるようになった、

というのが「雪解け」で、

これで巨人は一層強くなるか!?

という内容であると見受けられた。


一番気を付けなければいけないのは、

むしろ「雪解け」の後だと思っている。

阿部選手の上の発言、そのまま裏返せばこうだ。

「僕が捕手をやっていれば、勝てた。

今は小林が捕手としてダメだから、勝てない」

その他、阿部選手は自主トレにバリカンを持っていき、

イケメン捕手としても知名度の高い小林選手に対して

「小林の頭を丸める」などとうそぶいているものだから

小林選手が阿部選手への警戒心を一層強めるのも無理はない。

ポテンシャルを秘めているからこそ、

完璧ではないものの、小林選手の強みがあるからこそ、

ほぼ正捕手の座についているのだ。

そして、その強みを作ってきたのは、

まさに小林選手の試行錯誤の結果だ。

長い目で見れば、もっと伸びる可能性はある。

それに対して、短期的な部分を見て

「今のままじゃダメだから、

おれがみっちり『教育』してやる必要がある」

という思いを固めている阿部選手は

まさに小林選手の目から見たら

「教育」という名の「支配」に写ることは間違いない。

もはやキャッチャーでない阿部選手には、

自分の経験が生かせる道はそこしかない、

もしそこで生きなければ、

自分の存在価値がなくなってしまうかもしれない、

というある種の焦りもあるだろう。

ただしそれはある種の「保身」に映る。

目的が「チームが勝つこと」にあるならば、

なぜ頭を丸める必要がある?

なぜ純粋に一選手としての自身の向上に

努める時間を割いてまで「教育」する?

人を変えるのは自分を変えるよりも

よっぽど難しいぜ?

「勝利」という大義名分のもとに行われる

「保身」を目的にする「支配」。

そこに存在する、

ある種の欺瞞を感じてしまうからこそ、

小林選手は阿部選手と距離を置きたいのでは、

僕はそう踏んでいる。

いや、かつてはよかったのは知っている。

ただし、試行錯誤の余地をむしりとられて

かつて良かったことを徹底的に叩き込む、

というのではどうやっても

「終わったコンテンツ」の下位互換にしかなれない。

小林選手はそんなことを分かっているはず。


本質を見る目が厳しくなっている今、

時代錯誤な支配的教育には限界がある。

今、大事にされるべきは

「技術そのものを教えればできるようになる」

という「あれを入れればこれが出る」的な

頭の悪い教育法ではなく、

本人の本来的に持つ好奇心に基づく向上心を加速させる

ことにこそある。

「聞けば良くなるのにね」という単純なものではなく、

「(聞かずに)自分で試行錯誤する」

というベースがあってこそ、

「聞く」という選択肢がより積極的なものに

なりはしまいか。

そうして、「聞く」という選択を選んだ今後こそ、

阿部選手の支配的圧力のかかった持論に屈することなく

彼を盲目的に信じるのではなく、

阿部選手の持論を咀嚼したうえで

「ここは、取り入れる」

「ここは、無視する」

という取捨選択をすればこそ、

ステップアップが待っているのでは。


僕のなかでは2002年の日本シリーズ

巨人が優勝したシーズンが印象に残っている。

清水・高橋由に清原もいたし、

なんたって4番は松井。

「打席に立てばホームラン」

そんな期待を抱いたファンも多く、

しっかり答えてくれた。

高橋・松井・清原、そこに

だめ押しの一撃を叩き込むパワーヒッター江藤、

二塁は守備の名手、仁志に

ショートには二岡。

ポーカーフェイスでシュアなバッティング

は多くのファンの信頼を集めた。

投げては球界のエース・上原に

それを受け止める、安定の捕手・阿部。

斉藤、元木、それに後藤も・・・

そうそう!その時の監督は原辰徳

優しいパパさんみたいな感じが好きだった。

・・・・今の巨人は、そのコーチ陣から、

その時代を引きずっていないか、

という一抹の不安がある。