結局、「悪い人」というのはいないんだ

実際、「悪い人」というのは

どこにもいなかった。


「あの人はいい人だ」

僕は以前に勤めていた会社の人を見かける度に

同じことを思う。

何度か違う人を見かけても、

「あの人はいい人」

「あの人もいい人」

と同じことが浮かぶ。

あたかも「(自分を追いやった)悪い人」

というのがいるような口ぶりで生意気だけれども

果たして、「悪い人」というのはいただろうか。

「多少ソリが合わなくてやりづらかった人」

というのには、学生時代のアルバイトから

部活動まで、どの組織にもいた。

だけれどもその一方、

その人たちでさえ、自分にいいことをしてくれた

記憶はしっかりと残っている。

根元的に追い詰めようと思っている人なんて

ほんとはいないはずで、

その仕事なり活動を行う組織があったからこそ、

ギクシャクが生じてしまった

というのが正しいだろう。

ただし、

「みんないい人だ。じゃあずっと居続けよう」

というのはまた話が別。

そのやりづらさを受け入れたり、

改善に取り組んだりする心労を受けてでも、

そこに居続けることに対する、

お金以外で自分にプラスになることがあるか?

そして、

そのプラスはいったいいつまで持続するのか?

学生時代までは「卒業」という

「終わり」が設定されてきたのに対して、

学校を卒業してからは、

自分で「終わり」を見定めなければならない。

よっぽど長い長いプロジェクトでない限り、

ずっと残っている人たちは「終わり」を

見つけることができない人たち、とも考えられる。


ずっと心労をこらえてきた「いい人」の

まさにその当人たちが残っている場合は特に、

その場所の「正しさ」というのは変わらないだろう。

そうしてどんどん最大公約数的に作られた「正しさ」は

強固であるがゆえに、言葉にならないプレッシャーとなって

新しい人たちをじわじわと苦しめていく。

「悪い人」はいない。

でも、いい人たちの集まりが、結果として

だれかの「悪」になることは、十分にあり得ること。