どんな記事も仮説にすぎないが、人を動かしたら、よい仮説だ。
世の中に溢れているあらゆる記事は、 「仮説」に過ぎない。
導き出された「仮説」だ。
どんなに優れていても、
仮説は現象には絶対に敵わない。
じゃあ「仮説」は役立たずか?
と言われれば、そうでもない。
「仮説」は、書いた人の経験・私見から
帰納法的に導き出された「判断基準」でもある。
その「判断基準」が、
読んだ人の心にスッと入り込み、
その人の判断に寄与したならば、
それは、よい仮説だと言えよう。
逆に、人々から集中攻撃を受けるような、
いわゆる「炎上」するような記事もある。
それらは「仮説」なのに、
なぜそこまで叩かれなければならないか?
叩かれるということは、
その「仮説」が流布しては困る人たちがいる、
ということの現れだ。
それと同時に、皮肉なことに
流布する可能性が十分にある、
その「仮説」の有効性を、
攻撃者達自身が暗示してしまっているのだ。
だから、叩かれる記事は、
いい記事、いい仮説、いい判断基準と言えよう。