人は教えたい生き物だけど、教えてはいけない

親とか指導者は いろいろなことを知っているが故に いろいろなことを先回りして「正解」みたいなことを 教えたくてしょうがない。

それで誰かの役に立っている実感が欲しい、 というのも人間が社会的存在であることを考えれば 納得できる感情だ。

ただし、教育の終着点は「自立」であって、 「自分の支配下におくこと」ではないのだから

ある程度のことを教わって、 自分で考えられるようになったら (自然と自分で考え始めたら) 親あるいは指導者から離れた方がお互いのため。

世話を焼きながら「他の人が動かない」等と ブツブツ文句を言っている人は、結局 自分が「やり過ぎている」ということに気がついていない。

もし自分の手がなくとも、自立してやって欲しいと望むならば、 「ここからは、好きにやっていいんだよ」 というメッセージを送ればそれでいい。

自立への近道は自分で立つ練習をする他ない。

「好きにやっていい」というのは 一番やりがいと厳しさをもたらす選択肢。

よい結果も悪い結果も、自分で負う。 その「当事者」としての意識それ自体が楽しいことだし、

「当事者意識」を持った人は 「正解」を先回りで教えられた人よりも グイグイ進んでいく、と僕は思っている。

だから、 人は教えたくてしょうがない生き物だけれども、 それでも、教えてはいけないし、

いつまでも指導者や親のアドバイスがあるところに いてもいけない。