見えないことにも、感謝すること
僕は去年の夏から、自己紹介を主な目的としたラジオ番組のようなものを
自主的に作っている。それを聴いた友人Yが諏訪に遊びに来てくれた時、
こんなことを言っていた。
「あれってすごいよな。だって、あれを聴くと何回も録り直したり、練習したりしてるんだろなって思うから。」
そう言われて僕はなんだかくすぐったいような、いい気分だった。
僕はそんなことを気にしたこともなかったが、言われてみればそうだ。
原稿作成、トーク部分・弾き語りの録音(録り直し含む)・編集で、
合わせて4時間かかることもある。番組は20分にも満たないのに。
別にこんなに時間がかかってることを自慢するわけでもない。
(裏を返せばこれだけ時間がかかっていることは僕のスキルの低さをも物語っている)
ただ、相手が何かをやった(してくれた)結果に対して、
そのものを評価するだけでなく、その裏側にあることで、
かつ本人にとってはちょっとしたこと、あたりまえのようにやってのけることを
想像して、それを評価すること。
そういう視点は彼に言われるまで僕には全くなかった。
ちょっと応用すれば、そういう視点で誰かに感謝することもできる。
例えば、いつも朝学校に行く時には用意されていた母さんの弁当も、
(僕が実際に目で見ていたのは、いつも美味しい弁当を母さんが用意してくれている、
ということだけだったが)
ちょっと想像すれば、その背景には毎日のように仕事帰りにスーパーに寄って、
ちゃんとバリエーションを考えながら食材を選んでくれて、
朝ごはんとは別に弁当を作ってくれている、しかも僕よりも早起きして…
という背景があることは間違いない。
普段当たり前のようなことも、ちょっと立ち止まって考えると、
周りの人たちが、自分が知っている以上の苦労だとか努力をしているはずで、
そういったことに、折に触れて、ふと気にとまったとき、
素直な気持ちで「ありがとう」と言えたら、きっとお互い良い気分になれるんだろな。