くだらないの中に

ひょっとしたら、 くだらないことをどれだけ書けるか みたいなところにこそ、

自分の無意識的に大切にしている思いが含まれていて、 そこに人の心に届くようなことが ポロッと転がっているのかもしれない。

「これは、きっと共感を得られるゾ!」 とホクホクしながら文章を書くと、 どうしても教条的になり、どこか 嫌味になることは避けられず、

「あるある」と認めさせるために どこか、主語を欠いた文章になり、 どんどん抽象的な文章になる。

手の内を明かすようで恐れ入るが、 こうした感覚で書いてきた文章が、 実は結構ある。 こうした感覚で口から発してきた言葉が、 実は結構ある。


第一、おれが「くだらなくないこと」、 すなわち「有意義なこと」と思っていることは 一体なんなんだ?

あったとして、それを 「有意義だから、取り組んでいる (意義がないと分かれば、やめちまう)」 というのは、どこか傲慢ではないか。

ましてや、おれの基準で 「有意義だ」と認めたことを 他人にまで価値観の共有を求めるのは もっと、嫌な感じがする。

選択肢があったときに、 「より、ソーシャルな方」とか、 「より、困難な方」が「有意義だ」とか 思い込んでいるんじゃないだろうか。

逆にだ、 「くだらないと頭でわかりながらも、続けてしまう」 「くだらないと頭でわかりながらも、気づいてしまう」 ことがあるとすれば、それはもう、 「意義がなくとも、自分にとっては必要である」 ということを無意識のうちに認めている 何よりの証拠だ。

「好き」「嫌い」で語るのとは次元が異なる、 その「くだらないとわかっていること」 を排除することなく、時には 頭を悩ませながらも日常に織り込んで、 その存在を前提に生活を送る。それは、 すなわち「愛」だ。

そこに秘められた、極めてファジーで 自分ですら完全には言語化できない思いを 折に触れて浮かんだ言葉で 形容することを続けていったなら、

実はそこにこそ、他人の心に 狭く、深い共感をもたらす思いが あるのかもしれない。

人間の機微 のはなし

人間の機微を感じ取り、 それを知ったうえで 「どうしようか」と考えることは、

(おそらく、世の中には自分とは違う 感覚を持っている人がいて、 自分のおもう「正しさ」では 他人を納得させられないかもしれない、 と考えるようなかんじ)

結局のところ、 他人を理屈で押し切ることを妨げる 自分のうちの「弱さ」を認めることに 通じていて、ただしかし、

その「弱さ」こそ、 人の人間らしい部分だとも思う。

人間の機微とか、そんなことを かんがえているうちは、きっと

「求められたことの遂行能力」こそ劣れども

その良い意味で定まらない、 ファジーな「人間らしさ」が 垣間見えることで、 好かれるのかもしれない。

概ね、そういったケースでは好かれる自覚がない。 いや、好かれる自覚なんてない方がいい。

感じ取った「人間の機微」みたいなものに、 なんとか頭をひねって名前をつけて、 そういう感覚がある、ということにだけ 自覚的であれば、オーケーだ。

「あてがわれた役割」・「手加減の役割」のはなし

「本当の優しさとは 他人に席を譲ってあげることではない 譲られた席には自分で選んだ責任と 勝ち取った喜びがないから」

というのは森山直太朗の隠れた名曲 「優しさ」の歌い出しのフレーズだ。

結局はこれに尽きるのだが、

「役割があってこそ、人は輝ける」という類の フレーズを鵜呑みにして、

チームのメンバーに役割を適切に割り振るというより 「ほら、ココ、空けといてやったぞ」と言わんばかりに 「あてが」って、

「満足ダロウ?」と得意げになる、 そういうリーダーシップのもとで生まれた役割について、

「あてがわれた役割」

とか、

(本当は自分でやった方がいいと思っているのに) 「手加減の役割」

という名前を付けている。

忙しい大人のための読書感想文のかきかた

つまるところ、 読書感想文における本とは あくまでも自分の内側から言葉を引き出すための 当て馬的なものであって、

自分の経験や感覚に基づく言葉さえ引き出せれば、 本文を精読する必要はないし、 無理に書いてあることに納得しなくてもよい、

くらいに考えることができれば、きっとラクになる。


①自分が題材にしようと思った本を机の上に置き、 そのタイトルを眺めながら腕組みをし 「なぜ、自分はこの本を選んだか」じっくり考える。 (※この時、自分の意見だけで文字数を稼ぐために 絶対に本を開いてはいけない)

それだけでまず一枚、書いてみる。

【枠組み】 ・普段自分はこういうことをしていて、 ・こういうところに、なんとなく問題意識があって ・そのモヤモヤ解消に役立ちそうだと思い、 ・この本の「タイトル」がビビッときた (1枚書けるまで粘る)

②実際に読んでみる。このとき、 理由はともかく、 パラパラとめくり「なんとなく」印象に残った 「小見出し」を抜き出してメモする。 (※このとき、深入りするといけないので、 絶対に本文を読んではいけない)

③抜き出した「小見出し」について、 なぜ、その小見出しが印象に残ったか、①同様、 小見出しを腕組みをして眺めながら、考える。

まず1枚、書いてみる。

【枠組み】 ・普段自分はこういうことをしていて、 ・こういうところに、なんとなく問題意識があって ・そのモヤモヤ解消に役立ちそうだと思い、 ・この「小見出し」がビビッときた (1枚かけるまで、自分の経験記憶を遡り、粘る。 遡るのは自分の経験と記憶であり、本文ではない。)

※これを3回繰り返す(これまでで4枚分書けている)

④ ②で抜き出した小見出しの本文を実際に読む。 これまで書いた内容と著しく異なる点があれば、 それを「この本から得られた新しい発見」として 持ち上げておく。

(③までで書いた分に肉付けする。必要に応じて 自分の経験を書いた部分を削る。)

⑤ ②〜④で書いたことをまとめて、 改めて自分の問題意識を要約し、 「こんどから、これをやってみよう」と 思ったことを書いてまとめる。

古いものにこだわりたくなった人のためのはなし

どうやら、人はある一定の年齢に達すると 新しい音楽を探さなくなるらしい。 https://nme-jp.com/news/56379/

これは、音楽に限った話ではない と僕は個人的に思っている。

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自らの打算 とロジックの限界 にまつわるはなし

例えば、 「総合職」的なところへの就職活動で 正直な就活生はどんどん追い詰められていく、 その原因はこういうところにあると思う。

大学の専攻から、実際の「総合職」的生活へは、 極めて整合性に欠けるトランジションなのに、 さも、整合性があるかのようなロジックの提示を 求められる。

「『志望動機?!』そんなモん、ネーっすよ! 手っ取り早く評判とカネが 手に入りそうなチャンスだと思ったから、 オーボしたんス!そこんとこ、夜露死苦!」

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