他人を「怒る」こと のはなし

そのとき僕が少年を実際に「怒った」のは、 彼に他人の気持ちのわかる男になって欲しいから というのでは一切なく、ただ一点、 水鉄砲で攻められつづけたことで 僕が不愉快だと思ったからだ。

そう思えば、あとは自分の気持ちを 真面目な顔をして、 ちょっとシリアスに伝えるだけだ。 なんだかスッと入ってきた。

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善い人が悪人になる

自分の考えが整理されればされるほど、 つまり「自分のことば」というものによって

自分の思う「これがいいと思う」が 理屈づけされればされるほど、

自分とは違う考え方を持つ 他人が思う「これがいいと思う」に 目が行かなくなる、という意味で、

自分はどこかの誰かにとっての 「悪人」になっていくのではないだろうか。

そして、自分の「これがいいと思う」の濃度が 自分の中でどんどん高まってきて、 それをのみ、「善」と信じて疑わず、

いよいよ他人の「これがいいと思う」を 「自分のことば」でもって 制圧しにかかるようになった暁には きっと僕は「極悪人」になるだろう。

かくして、

思いが強くなればなるほど、 それにことばが付けばつくほど、 他人にみだりに触れてはいけない のではないだろうか?

そのような思いが、 最近ふと湧いては、 頭の中を巡っている。

「共同生活の本質」と「コミュニティのパラドックス」のはなし

本来、「共同生活」とか 「つながり」とかいうものは

「する」というような能動的なものではなく 場所を一緒にしたからという理由のみで 「なる」という受動的なもので、

「持っているリソースを分け合えばよい」 という、ある単一の合理的観点から それをシステム化してしまえば、

「リソースを持っていないものは、仲間に入れない」

という性質を帯びてしまう。

共同体にとって「望ましい」リソースを持たず、 「何かを生み出すわけでも、 何かの役に立つわけでもない」存在を 措定してどうやっていくか、 という問いを立てて実践してはじめて、

真の意味での 「共同生活」とか「つながり」に近づく ことができる

というのが今回のテーマだ。

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「群れてはいけない」属性と「カルト」と「暴力」のはなし

ゲームに出てくる悪役には

・子供の頃から引きずっているコンプレックスをもとに ・ふとした瞬間に手にしてしまった強大な力を使って ・自分の理想の「善」の世界を目指す中で ・それが行き過ぎて、「悪」になる

というものが珍しくない(と誰かが言ってた)。

そんなところから始めよう。


思うに 世の中には「群れちゃいけない」属性の人がいる。

それがどんな人かと一言で表すと、逆説的ながら

「つながり」とかいうワードを頻繁に持ち出す人々だ。

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「他人に“いいこと”しないおれ、生きてていいよ」と「自立」のはなし

ちょうど一年ぶりに会った友人がいた。

どういうわけか話の中で僕が無職だった時の話になった。 たしか、乃木坂46の話から派生したはずだ。 僕が、日がなYoutube乃木坂46の動画を見て過ごしていた時期のことだ。

当時僕は

縁はあってもゆかりがなかった長野県にいて、 参加する社会がなかったその時の僕は 「生きてていい」みたいなことを 他人から承認してもらえるような状況にはなかったので、

「働かないオレ、他人に“いいこと”しないオレ、 それでも生きてていいよ」

という類のことを、 感覚として自分のものにすることに必死だった。

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「やりたいこと」はアテにならない①

たとえば僕が「『朝マック』をしたい」と思ったとき、

じゃあ、どこでもいいからマクドナルドに出かけました。 マクドナルドに着きました。はい、じゃあ満足ですね!

…そんなワケないだろう!!笑

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