もともと「頑張るタイプ」の人の「頑張らない力」は新しい強さ

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https://twitter.com/sodium/status/790865181991514112

最近(おそらく過労自殺事件を受けて)

Twitterで話題になっているイラスト(漫画?)がある。

これを読んだとき、

「これこそ、このイラストの肝だ」と思ったのが、

「色々な道があるのに、それを自ら塗りつぶしてしまう」という部分。

(イラストの5コマ目にあたる)

「塗りつぶす」理由は色々あるんだろうけど、

僕も色々「塗りつぶした」ことがある経験から考えると、

そこには「『タフなことをやれる自分』から降りたくない」

という気持ちがあるのだと思った。

僕個人の経験から考えると、

「もし今さらそこから降りてしまったら、自分は

『もとからタフなことをやれない(やらない)タイプ』の人たち

と同じになってしまう」

という、今思えば傲慢ともとれる気持ちに苛まれていたし、

その根源は残念で逆説的ながら自信のなさから来る不安だった。

ただ、「タフなことをやれる自分」から

ちょっと遠ざかって見て思うのは

(自信満々だから、というのとも違って)

もともと「頑張るタイプ」の人が、

理屈とか本を読んでとかじゃなくて、

自分の経験をもとに身に付けた「頑張らない力」は

もとから「頑張らないタイプ」の人のそれとは

違った強さを内包しているんじゃないか

ということ。

それは、「頑張ること」をバカにするでもなく、

ラクに考えればいい」というペラペラなものではなく、

今自分の目の前で頑張っている人を、ありのままに認め、

その人の強さをさらに引き出す力であり、

引き出された強さが、自分だけでなく、

その人とその人の回りの人を幸せにする可能性である。

(その「その人」というのは自分にもあてはまる。)


「とにかくタフな方へ」というのは悪くない。

タフなことをすればするほど、従来の美徳観では認められる。

そうして認められてきた自分が、「辞める」なんて!?

・・・というときの気持ちはスゲーわかるんす。

それと同時に、一番に認めて労ってあげなければならないのは、

紛れもなく自分からもっとも近いところにいる自分であり、

その結果として「タフなことをやれる自分」から降りたとしても、

それは敗北を意味するものではなく、むしろ新しい強さを身に付けること。