「目標がないのに部活を続ける意味ある?」

「目標がないのに部活を続ける意味ある?」

そんな検索ワードでこのブログにたどり着いた人がいるらしい。

そのことに関して僕の考えはこう。

「部活をやっていることに何らかの興味や関心、モチベーションがあれば、

目標がなくとも続ける意味は十分にアリ。」

もちろん、その逆も然りで、

「部活をやっているなかで自発的な関心や興味があること、

その他あらゆる類いの自発的モチベーションがないのであれば、

たとえ、チームとしての目標があったとしても、

あなたにとっては続ける意味はない」

とも思う。


それに関連して、『子どもは40000回質問する』という本に

非常に興味深い話が載っていた。

シカゴ大学高麗大学ビジネススクールの研究者グループが、

(記述がなかったが、おそらくランニングマシーンで)

レーニングする学生100人を対象に行った調査のこと。

半数には、目標を聞き、(体重を落としたい、など)

レーニング中その目標を常に意識するように指示した。

もう半数には、レーニングが始まってから経験したこと

(ジムで体を動かしてどんな気分だったか)を説明してもらい、

その後もずっと自分が経験したことについて考えながら

レーニングをするように指示した。

その結果、どうなっただろうか?

目標を常に意識するように指示された前者のグループは、

開始前こそたくさん走る意欲がみなぎっていたものの、

実際により長い距離を走り、

さらにトレーニングを楽しむようになったのは、

むしろ特に目標を意識しなかった後者のグループだったという。

その話の後には

「将来に焦点を合わせると現在を楽しめず、 結果的に自分のしていることを面白いと感じなくなり、 ひいては最後までやり抜く気力まで薄れてしまう」

というまとめが加えられている。

(「だから、目標はあっちゃいけない」ということではなく、

それとはまた話は別。)


それを踏まえて、改めてまとめると、

「目標がないのに部活を続ける意味ある?」への僕の返答としては

たとえ目標がなくとも、現在部活にいる自分の状況について

感じること、練習を通じて考え始めたことに興味があって、

それを自発的に考えてしまっているようなら、

たとえ目標がなくとも続ける意味は大アリだと思うし、

たとえチームとしての目標が明確であっても、

練習を通じて経験したことについて、自発的に深めたい、

という興味や意欲が湧かないのであれば、

あなたにとっては、続ける意味がない。

もちろん、これは部活に限った話ではありませんが。。