「サラリーマンのブログは面白くない」が何となくわかった

人気ブロガーのイケダハヤト氏はしばしば

「サラリーマンの書くブログは面白くない」

と自身のブログに書きまくっている。

それに対して、

「イケダハヤトがサラリーマンをディスるのは

ネタがもうないからだ!」

「イケダハヤトはオワコンだ」

といった批判もある。それも一理ある。


昨日『お祈りメール来た、日本死ね

という本を読んだ。

その終わりにはこんなことが書かれていた。

「(大人の)ほぼ100%が教育と雇用の下にあった経験があり、

それぞれが『自分の見てきたこと』に裏打ちされた

一家言を持っている。」

つまり、教育と雇用(および働くこと)のありかたについては

それぞれが「モノ申し」たいものを持っていて、

それぞれが「正しい」と思っている、ということ。

僕もあまり偉そうに言えたものではないが、

自分の「正しさ」を主張しながら

結局は会社の「正しさ」にやりこめられている現状に、

親指のツメを噛みながら甘んじている。

そんな状況を含め、氏は「消耗」と呼ぶのではないか

と思ったのだ。

どんなに教育と雇用について正論を振りかざしても

「でも、結局守られているんでしょ」

「でも、自分では実践してないんでしょ」

と思ってしまったら、

面白味も、応援したくなる気持ちも半減だ。

他のブログライターを見て思ったこともある。

だから、極論ではあるが

「(教育と雇用のあり方についてあれこれ述べるような)

サラリーマンの記事」は、面白くないのかもしれない。

僕が最初の会社を飛び出したきっかけの一端は、

同僚と、それこそ働きかたのあり方について話していたとき、

「あぁ、結局それっぽいことを言うのは誰でもできることで、

自分は何もしていないんだなぁ」

ということに強く気づかされてしまったことにもあった。


自分もこれまで書いてきた

「教育と雇用のありかた」にまつわる記事は、

世の中から見れば、今はオワコンなのだ。

(自分の気づきをまとめる、自分の言葉を持つ、

という意味では、多少なりとも自分の役には立つ、

と最後に意地を張ってみせよう。)

それを実践して、

ちょっとでも誰かの認識を変えることができてはじめて

「役に立つコンテンツ」となろう。

ただし、孤独な闘いになることは必至。