「折れる」と「相手の意見を尊重する」は全く違う

相手と意見が対立してしまったとき、

「折れる」のと「相手の意見を尊重する」

のとは、全く異なる。

積極的な態度を保ちながら、

相手の意見を尊重することは十分可能だ。


「折れる」というのが、

自分は完全に府に落ちていないにも関わらず

受け入れるそぶりをみせながら

渋々相手の意見に従う

というのに対して、

「相手の意見を尊重する」とはこう。

「相手の主張の裏側にも、

相手の事情に基づく確固たる正当性があって

まず変わらないものだ」

という前提から始まる。

相手を変えることには注力せず、あくまでも

そこから「それなら、自分は何ができるかな」

ということを考える。

もちろん、自分がどうしても譲れないことを、

無理に譲る必要もない。

それは「できないこと」だからだ。

あくまでも「できること」を探して、

ひたすらできることをやっていく。

これこそが、「相手の意見を尊重する」ことだ。


もちろん、

意見が対立する相手と関わっていくことに対して

自分側にきちんと動機付けがあることが前提だ。

自分の意見が完全には受け入れられない、

という前提があってもなお、妥協することになっても

それでも関わり続けることに、

自分のなかで明確なモチベーションがある、

という場合に限り、有効だ。

もしそうでないと思ったら、

もうそこを離れるべきサインとも言える。