「自分の名前で」満たすべき存在は?

「自分の名前で」というと、

フリーランス的に「成功」している人のこと

を指しているように思う。

(カッコつきなのは、

そのように「見える」というニュアンスを含めているから。)

ただ、いま、この瞬間に、そもそも、

自分の名前を知っている人はどれだけいるだろうか?

・・・その具体的な数は知らないけれど、

「自分の名前で」楽しませてあげられる人もまた、

自分の名前を知っている人だし、

その人たちの世界においては、という条件では、

自分は交換不可能な存在だ。じゃあ、その「交換不可能な存在」

になるために、自分は「名前を売る」ような行為をするか?

そのようにして知られた名前や、

その人から醸される雰囲気は、果たしてどれだけ人を喜ばせるか?

本当に喜ぶだろうか?

(できるだけ多くの人にとって)

交換不可能な存在になれるかどうかは、どんな形であれ、

自分の実力であり、その結果でしかない。

その実力を、いま、発揮できるのは、

まさしくいま、「自分の名前」を知っている人に対してのみ。

そんな風に思う。


だからこそ、今「満たすべき人」の優先順位は

「自分」>「自分の名前を知っている人」>「名前を知らない人」

だと思う。

とくに会社組織においては、

「自分の名前」というのを毎日意識するはずの

自分が満たされてない状態や分野において、

その優先順位をすっ飛ばして「顧客第一」的な考えのもとで

他の人を満たそうとするから、つらくなる。

まずは自分が無理をせずできることで、

自分の名前を知っている人(=自分の同僚)を助け、

そうして組織としてやり易い環境ができたところで、

ようやく名前を知らない人(=客)を満たせるのだと思うよ。