自分の中の需要と供給システム「言葉になっていない気持ちを言葉に」

「文を書くこと」に

自分のよりどころのようなものを求めると、

どうしても「書かなくちゃ」「(情報を)入れなくちゃ」

という気持ちに苛まれる。

でも、

そもそもここに書いていることのほとんどは、

何かをしているときにフッと「浮かんできた」言葉をもとに

文章の形にしてきたものである。

つまり、基本的には「ヒネリ出し」て出てきたものではない。

そして、「浮かんできた」言葉を形にしてあげる作業は、

これがまたなかなか楽しい。

自分の納得いく形に仕上がった時の喜びは、

別にそれを読んで誰が喜んでくれるわけでもないのに、

こう、心の内側から湧きあがってくるようなもので、

それを言葉にするならば、

「あぁ、今日はいい気分で一日を終われるな。

さぁ、今日の夕飯は何にしようかな」

という感じのものだ。

そういう感覚は、あくまでも「浮かんできた」ものを

上手く加工・処理してやった時にこそ得られる。


自分の中には、

ある種の「需要・供給システム」が存在する。

まだ言葉になっていないけれど

言葉になりたがっている感覚のようなものが

「お客さん」として随時現れて、

それを、「店主」としての自分が

「そうれ、ちょっと待ってな!」と

それを形にしてあげるという作業をすると、

「お客さん」は満足して帰っていく。

その「お客さん」の満足そうな顔を見た「店主」は、

「生きてていいんだ」といういわば「共同体感覚」

のようなものを得て、嬉しい気分になれる。

それが、またやってきた「お客さん」の気持ちを

言葉にしてあげる原動力になる。

そんな感じ。


そう考えると、

「ちゃんと要望通り加工できるように、

材料を仕入れておこう」という意味で

「(情報を)入れなくちゃ」というのは

まぁ、いいのかもしれない。

ただ、「お客さん」の需要もないのに、

「よりどころ」のためだけに、

「押し売り」するような形で「書かなくちゃ」と思うのは、

なんだかちょっとアレなのかもしれない。

・・・こんなことを書いていると、あっという間に

800字くらいになってるんだな。笑