「言うことを聞く」「言うことを『聞く』」はそれぞれ全くの別物

「相手に服従する」こととしての「言うことを聞く」と

「相手の話を聞く」行為としての「言うことを聞く」ことは、

実はパラレルに存在しているものであって、

相手の行った通りに「やる」「やらない」のオプションは

あくまでも自分が握っている。だから、

「相手の言うことを聞く、けれどもやらない」

というのは、十分に成立するのだ。


世の中には、

「自分は正しい、相手が間違っている」という

認識の中で動いている人がたくさんいる。

その人の人格がどうこうという問題ではなく、

純粋に、自分が「正しい」と思う事情はよく見えても、

相手が「正しい」と思う事情が見えないことから、

そのすれ違いは生じる。

ゆえに、そういう認識が起こるのは、

無意識レベルではある程度仕方のないことだ。

ただ、その事情というのは極めて個人的なものだから、

その事情に自分の主観やエゴの存在を見抜かれてしまっては

論争においてはかなり不利になる。

だから、

自分の意見の正当性は事情ではなく、

あくまでも一般論的なものによって

語られる必要があるのだ。


そんなことをやっているから、

「自分は正しい、相手は間違っている」

という認識に基づくすれ違いはなかなか崩れない。

(ちなみにケンカの後は、

「確かに、おれも○○だったんだよ」などと

しばしばその主観や事情が語られるから、

仲直りに繋がりやすい。)


「自分は正しい、相手は間違っている」

その認識を「持つこと」だけは仕方がない。

その認識がすれ違った結果、

両者で議論を交わし、お互いの事情を認めあい、

適切な妥協点を探ることができれば、関係は改善する。

ただ問題なのは、

それをある種の権力を持っている人が、

(年齢が上、年次が上、立場が上など)

それを実際に口に出し、押し付けてくることだ。

(いわゆる、「パワハラ」的状況のこと。)

しかも、友人同士や恋人同士のように、

自由に議論を交わす余地も価値もない

(友人や恋人は「仲が良い」関係であることが

ひとつの目的だから、議論の価値があるのだが・・・)

そんな時、どうしよう?

そんな時に忘れてはいけないのは、

「相手の話を聞く、けれどもやらない」という

オプションが、キッチリ存在するということだ。


相手があなたのことを思い通りにしようとするために

あれこれ文句をつけてきたとする。

たとえ自分がそれを「間違っている」と思っても、

相手の事情の中ではその文句は「正しい」。

それはまず覆らないものだと思ってほしい。

相手の中には確かに「正義」が存在する。

だから、

相手のクレームについて

「(あなたの事情では)確かに、そうですよね」

「それは、(あなたの事情では)正しいと思います。」

ということは、何も間違っていないし、

自分を殺すことにもつながらない。

相手の合理性を、嘘偽りなく

ただただ、その通りだと認めることは、

いくらでも可能だ。

(「自分を殺した」という意識を持たないためには

「私が間違っていました」とまでは言わない方が良い。)


大事なのはここからだ。

相手の意見は、「(相手の事情のなかで)正しい」

ということは、確かに認めた。

僕たちにはその先に

「さぁ、その通りやるのか、やらないのか」

という選択がきちんと用意されている。

そして、僕たちは「やらない」という選択を

することができる。

「Yes-But 方式」で反論する必要もない。

ただ、「やらない」という選択をする。


もしも再度ケチをつけてくるようなら、

何度でも「そうですね」「確かに、それは正しい」

ということを深く頷きながら認めてあげれば良い。

ただ、僕たちは「言われた通りにはやらない」という

選択をする。

そのやり取りのなかで、彼らは

「わかれば、よろしい」という気持ちと

「なぜ、こっちは正しいことを言っているのに、

言う通りにならないのか」というイライラの

無限ループに突入する。

(その様子を、僕たちは見て楽しむことができる。)


その無限ループから抜け出せない彼らに

決定的に欠けているものは何か?

ー相手に対する、状況に対する、

「尊敬」の気持ちだ。

(前提として)

「相手は、相手の正しさを持っているのだから、

自分の思い通りにはならない」

「じゃあ、自分には、(「相手を変える」以外に)

どんな策を打てるかな?」

という考えを生む、心の持ち方だ。

人を「使う」立場にある人ほど、

相手が自分の言う通りになると思ってしまいがちだ。

しかし、「尊敬」の気持ちを持たないことには、

ただ自分だけが困っている状況から

いつまでも抜け出すことができないのだ。

「自分が困っている」のを、

「みんなのため」「お客様のため」というのを

ダシにして語っても、

「その結果、自分が困っているからどう改善するか」

という自分の課題に、自分にできることで、

対処しなければいけないのだ。


でも、ただ「無限ループ」を回っている人たちを

笑ってもいられない。

もしも、そのチームが機能しなくなって

お金以外の面で、自分が困るならば

僕たちはたちで、あくまでも、

(相手の「正しさ」はまず覆らない。だから、)

「言うことを聞くが、その通りにやらない」

という「拒否」の反対側で、

「無理をせず自分自身にできること」

「自分がやるべきだと信じていること」

で改善にあたる。これに尽きる。