そして、僕は同じ服を着る

いつからか、

僕は毎日同じ服を着るようになった。

「私服の制服化」

と言えば分かりやすいが、その言葉を使っては、

ただのブームに乗っかっているようで、

今ひとつ気が収まらない。

スティーブ・ジョブズ

マーク・ザッカーバーグ

「日々の決断を下すために、

服装などということに決断のエネルギーを

使わないように」

という考えを持っていることは有名だが、

僕は毎日別にそんな大した決断に

迫られているわけではない。

ここは一つ、自分の言葉で

その気持ちを書いてみようと思う。


一言で言うと、そこには

「日によって気持ちにブレがない」

というメリットがある。

例えば、クローゼットに

お気に入りのジャケットAとジャケットBが

あるとする。

当然、どちらも買った時は

ひどく気に入って買ったものだが、

二つのジャケットを並べているうちに、

「より、気に入っている方」

というのができてしまう。

そうなった瞬間、

「ジャケットB」は「カッコいい」という

絶対的な評価を失い、

「ジャケットAに比べると、やや劣る」

という相対的なレッテルを貼られる。

やがて、

「より気に入っているジャケットAがあるのに、

今日はローテーションの問題で、ジャケットBを

着ている」

という感覚が生じると、

気に入って買ったはずのジャケットBが、

いわば「2軍」に甘んじることになる。

それなら、ジャケットAを

何枚も持っていた方がいい、というのが

僕の考えだ。

(実際、毎日同じ服を着られるように

アウター以外は同じものを複数枚持っている。)

それなら、

「今日のコーディネートはイマイチかも」

と思って不本意な日を過ごす、ということは

あり得ないのだ。


ただ、毎日同じ服を着るとしても

「この服しか持っていないと思われたくない」

という気持ちが働く可能性を否定しない。

個人的なことを考えると、

僕はそもそも学生を卒業して以来、

現場の仕事にばかりついていたので、

しごとでは制服しか着ることがなく、

オマケに無職でいた期間があるものだから、

あまり人に会わない生活をしていた。

すると、こと服のバリエーションということには

とても無頓着になってくる。

ただ、無頓着であれ、と

他人にオススメすることは一切ない。

様々な服を着ることは、

それ自体が一つの楽しみであることもまた、

知っているからだ。

ただ、

「これしか持っていないから、これしか着ない」

というのは今の僕にとっては十分で、

非常にラクなのだ。