真面目な「フリ」をすること、思考を放棄すること

「真面目であること・従順であることと

そしてそれを担保に思考を放棄することは、

全くの別物」

という文にTwitterで出会った。

https://twitter.com/hellohellock/status/848879752316309504

「真面目さ・従順さを担保に思考を放棄する」

(「頑張っているから、報われる」という考え)

この感覚について、僕はこれまで

「真面目なフリをする」

という言葉で表現してきたが、

このツイートはそれを見事に言い表してくれたもの。


自分の言葉や行為を

高く評価してもらえたなら、

それは「結果」としては嬉しいが、

(とりわけ、そこに込める

自分の思いが強い部分なら

なおさら鳥肌が立つほどの快感に包まれる

ということがしばしばあるが、)

もしも「高く評価されること」を

目的のように求めてしまったなら、

「認めてもらいたい」

「認めてもらって、使ってもらいたい」

ということを求め始めたなら、

それは、

「(「忖度することの期待を満たす」という

矛盾をはらんでいるものとしての)従順さ

を担保に、思考を放棄する」

ということの域を出ないことになる。


「自分で考え、自分でインプットを試み、

自分でアウトプットを見る」

という「知のサイクル」としての「思考」を放棄し、

やすやすと他人の手に渡してしまうことのないよう、

自分は、自分なりになんとかするが、

必ずしもあなたの思い通りにはなりませんよ

という基本姿勢を示しながら、

その「知のサイクル」から生まれたものが、

あくまでも結果として、他人の役に立ったり、

他人に高く評価してもらえたりしたなら、

これは本当に嬉しいことだ。