株式会社化する大学スポーツ

総会でお金を出しているOBが部活の方針に口を出す。 まるで「株主」のよう。

部の代表である監督は総会でOBからあれこれ言われる。

それを受けてか受けてないか知らないけれど、 現場を仕切るコーチが「ノルマ」のように目標を設定する。 管理職のようだ。

管理職の方で色々育成メソッドみたいなのを考えてるようだけど、 果たして選手たち自身は感覚がコーチに追いついているか?

本当は「先輩たちの雰囲気がよかったから」とか、 「寮生活が良いと思ったから」とか、 「ここでならトコトンやれそうだから」とか、 勝ち負け以外の要素も気に入ったから、 という割とピュアな理由で入部した学生も 実は結構な割合でいるんじゃないだろうか。

勝ち負けのあるスポーツで、しかも文字通り「競争」の スポーツならば、勝負を否定するわけじゃないけれども、 どこかこう、イニシアチブが選手から奪われている感じ。 いつの間にか、OB達を喜ばせるための 「勝つマシーン」に仕立て上げられようとしていないか?

それを想うたび、過去の自分も、選手も気の毒だと思う。 それがただの幻想・妄想ならいいんだけどね。

そりゃあ、勝ち負けがあるなら勝った方がいいんだろうけど、 選手はホントのところ、どの程度まで強くなりたいのか、 そのために、自分たちでどんなことを工夫してやりたいのか。 そして、それを彼らの自主性に任せられているか。 「耳を傾ける」だけじゃダメだ。任せなければ。 過保護な気持ちであれもこれも先回りで与えたり、 詰め込もうとしていないか。

(本当に心の底から勝ちたいと思っていて、 強くなるためのサポートを選手が主体的に望んでいて、 指導者がそのための脇役であることが、アスリート的にはベスト)

もっと大事なのは、先回りせずに、 選手が必要なサポートはいつでもしてあげますよ、という体制。

「勝つため」という大義名分のもと、 当事者以外が「主体的に」ガヤガヤしているのを見たり、 当事者以外で指導体制が強化されると聞いたりするたび、 僕は不安な気分になる。

OBは基本的には大企業マインドで育った人たちだから、 そうなるのもムリはない? 「お金を出しているんだから『感動』という見返りくらいは」 という消費者意識も分からなくもない。 ただ、そこには「学生主体の健全なスポーツ活動」という 本質からの乖離が垣間見える。

強くなる(強くさせてもらうor強くさせられる?)ことと、 本人が幸せであること(自分のやりたいことをやって、 やりたくないことをやらないこと)は、 もしかしたら別物なのかもしれないね。

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教えれば教えるほど下手になる