効果よりもアクションが大事?対症療法と静養療法

風邪をひいたら大抵、 「病院には行ったの?」と聞かれる。 そうなると、ちょっと答えに困る。

僕は風邪を「風邪任せ」にして治すことにしているからだ。 風邪の諸症状は全て身体の治癒機能の表れだから、 それを邪魔しないように、症状を抑える薬も飲まないし、 消化にエネルギーを使わないように食欲がなければ食べないし、 ポカリだけ飲んで、温かくして寝る。

風邪の治し方はダイエット法と同じくらい人それぞれ。 病院に行って、薬を処方してもらえばすぐ治る、 という風に思っている人がたくさんいるのももちろんだし、 そういう認識の方が一般的だと思う。

そうなると、「症状を抑える薬を飲まない」のもまた 風邪の「対処方法」であるのにも関わらず、 例えば子どもが風邪をひいたとき医者に連れて行かないとしたら、 それはある種の虐待(ネグレクト)になってしまうのだろうか、 という疑問がふと浮かんだ。

他には・・・ 風邪をひいていなくても、 本人が求めていなければ朝食だって食べる必要はないと思う親が、 もしも食欲のない子どもに朝食を与えなかったとしたら... というのも然り。 学校では「朝食を食べよう!」的なキャンペーンもやってるし、 「朝食を食べない子どもは成績が悪い」的アピールもしてるし。 (僕は、無理して食べることは身体を弱らせると思っている。 「子どもは育ち盛り」という言葉を持ち出されたら辛いが、 人間も動物だ。その分、感性の強い子どもは不足分を補うように きっとどこかのタイミングで食欲を発揮するはず。)

それらには効果がどうとかいうよりも、 アクションを起こしたことそのものの方が大事? それとも、アクションを起こさなかったことを 後で悔やむことのないように、とりあえずやっておいた方がいい、 という感覚があるのだろうか。

(ちなみに、僕は今調子を崩してなければ子どももいない。)