「どの時」「どの場所」「どの人と」楽しみのつくり方

長野県の諏訪市に引っ越してきて一年。 ここは観光地だし、ド田舎ではない。だけど、田舎。 大型ショッピングモールもなければ、僕の好きな楽器屋もない。 車移動がほとんどだし、価値観的に僕は飲み屋にも行かない。 でも、楽しんでいる。楽しみを作っている。

例えば、諏訪湖に行くとする。 諏訪湖ひとつをとっても、散歩に行って空気を吸うのと、 昼に行って家族連れで賑わっている遊歩道を歩くのと、 夕方に夕日を見ながら足湯に浸かるのと、 夜に行って夜景を眺めるのとでは、それぞれ全く違う。

しかも、誰と一緒に行くか、そしてその人と何を話すか、 何か食べるにしてもビールとつまみなのかベーカリーのパンなのか、 ひょっとしたら信州おやきかもしれないし、 諏訪湖前のコンビニで買ったペヤングソース焼きそばかもしれない。

そして、買い食いしてた高校時代の思い出を話すのもよし、 学生時代のカフェテリアのように、くだらない話に興じるもよし。

いつ、どこで、だれと、何を、どんな風に

それぞれの項目をひとつひとついじるだけで、 普段馴染みのある楽しみも、ひとつひとつが違いを帯びてくる。

その楽しみは、まさしくその場にいた人だけのものなのだ。

僕は、高いお金を払ってパッケージ化された楽しみを買うのではなく こんな「つくる」楽しみを、県外から遊びに来てくれた友達と、 ぜひ共有したいと思っている。

ただちょっとしたデメリットもある。 こういう風にしてつくる「遊び」は、必ずしも万人受けしないこと。 その人の感性を問う部分が大きいからだ。 その遊びそのものが楽しいかどうかよりも、 その遊びを楽しいと思うかどうかによる。

しかし、その逆はまたメリット。 相手と感性を共有できたとき、心からの楽しみを覚える。 そうして「自分達だけ」のエクスクルーシブな楽しみを 共有できることで、友情や愛情がより深まる。 なんだか、少人数で秘密を共有している感じ。

共有できる人の幅は決して広くない。 だけど、「オーダーメイド」的にその時、その瞬間を楽しむことは、 思い出をより鮮明にし、仲を深めてくれると信じている。