アイドルは「アイドル」という才能だ

最近、僕のなかでアイドルグループ「乃木坂46」がアツい。 ちょっと前までは代表的メンバーの「生駒里奈」が どんな人だか分かってもいなかった。 しかし、あることをきっかけに、 ここ一週間はしばしばYoutubeで乃木坂46の動画を見ている。

彼女たちを見ていて、ふとこんな風に思った。

アイドルは、「アイドル」という才能だ

今日、日本の音楽シーンやバラエティで アイドルを見ない日はない、というほどに アイドルはもはや日本の文化の大きな部分であることは間違いない。

それを「ごり押し」と見た大人たちが、

「かわいいだけで、中身がない」とか、 (業界に揉まれている彼女たちがそんなはずはないのだが、)

「かわいいけれど、大して歌もダンスも上手くない」とか、

「かわいいけれど、料理が下手くそだ」とか、

「そもそもかわいいと思わない」とか、 (「かわいい」は主観的なものであって、断定は決してできないし、 誰かがかわいいと思っているからアイドルなのだ)

批判することはいくらでも可能だ。

じゃあ、その「かわいい」を生み出しているのはなんだ? ということに目を向けてみる。

それは、外見かもしれないし、声かもしれない。 ただ僕が一番目を見張るのは、 カメラの前で、良いタイミングでおバカなことを臆せず言ったり、 人の前で非常識とも思われかねないことを、 平気で、かつ真剣にやってのけることである。 (もちろん、音楽その他の能力はきちんと備えている)

「できる」ばかりの少女たちだったら、 外見がかわいくても、「かわいくない」だろう。

それが、絶妙なタイミングでできないところを見せてくれるからこそ 「かわいい」存在たれるのではないだろうか。

アイドルたちを批判する大人たちはそんな風になれるか?

これはもはや「才能」の領域だ。

僕が言いたいのは、 アイドルは才能がないとダメということではない。 様々な努力の結果生まれた今の彼女たちから 自然と溢れるすべてがもはや才能だ、ということだ。