出来事への意味付けーいつでも、いくらでも、良くも悪くも、修正もー

「自分の身に起こった出来事は、 自分の捉え方でよくも悪くもなる。 つまり、自分が意味付けをしているに過ぎない。」 そんなことを昨日の記事に書いた。

そこからさらに言えば、 過去の出来事の良し悪しは、 その人が置かれている状況でいつまでも変化しうるのだ。

こんな例はどうだろう。

ある男は、数年前に付き合っていた彼女に別れを告げた。 自分で決めたことでありながら、その直後は悲しみに暮れて、 「あの時彼女と別れなければよかった」と思ったとする。

ところが、それからしばらくして新しい彼女ができた。 その新しい彼女は、前の彼女よりも好みのタイプで気も合いそうだ。 その時、男はこんな風に思うだろう。 「あの時(元)彼女と別れたおかげで、 僕は新しい彼女と出会うことができた。」

男は後にめでたくその彼女と結婚することになる。

しかし残念なことに、気が合うと思っていた妻とは 実は価値観が全く異なることに気がついた。 さらに、よく思い出してみれば当たり前だと思っていた 元彼女の些細な優しさが、本当にありがたいことだと気づいた。 しかし結婚してしまったからそう簡単に離婚はできない。

そんなとき、男はこんな風に思うかもしれない。 「やっぱりあの彼女はいい女だった。別れるんじゃなかった。」

「男が元彼女と別れた」という事柄には何も変わりはない。 ただそこに、「別れた」という事象が存在する。 それに対して、男は自分の置かれている状況によって プラスの意味付けをしたり、マイナスの意味付けをしたりしている。 それだけなのだ。

ひょっとしたら、何かをきっかけに妻との関係が劇的に改善し、 子宝にも恵まれるかもしれない。そんなとき、男は間違いなく 「あの元彼女と別れて、やっぱりこの人と出会えてよかった」 そんな風に思うはずだ。

身に起こったことが良いか悪いかは、死ぬまで分からない。 ということは、生きている限りは良いように意味付けしたり、 悪いように意味付けしたりすることはいくらでも可能で、 しかもいくらでも修正可能なのである。